時々「執筆欲」みたいなものが湧く。
高校の頃文芸部の部長として活動していた…というのは僕がよくする自慢で、なんだかそこだけ切り抜くと格好良いから好きなのだ。実際は自分は才能ある後輩を追いかけるただの凡才で、部長なんて名ばかりだったのだけれど。

さて、そんな経験があるからか、それとも元々の性格からか、執筆欲、もっと具体的に言えば、なんでもいいから胸の奥にある目に見えないものを言葉という目に見えるものにするその快感に取り憑かれた状態に、僕は時折かかってしまう。

だから、今日は自分の好きな花火大会について語らせて欲しい。

花火大会で、一番心が踊る瞬間は間違いなく同行者との待ち合わせの瞬間であって、大会の最中ではない。それがひとりの異性でも、複数の友人でも、なんなら親戚たちでもいい。久しぶりだね、とか、今日暑いね、とか、そろそろ会場向かおうか、とか、そういう他愛の無い会話を交わす時間が、何よりも愛しい。
そのあと、同行者と会場に向かう。会場が近づくにつれて、人が増えていくのがわかる。はしゃぐ可愛い子供たちや、着物を身につけた人がいたりする非日常が、暑い中アスファルトの上を歩く退屈さをかき消してくれる。
いよいよ会場の目の前まで来たら、色とりどりの屋台が出迎えてくれる。どれも魅力的で目を奪われるけれど、屋台の商品は押し並べて割高で、実際に買うことが出来る数が限られる。そんな数々の誘惑を押し切って手に入れる商品が、いつにも増して輝いて見える。そしてまた歩いているうちに誘惑が訪れ、たまにその誘惑に負けてみるのも、その時にしか味わえない貴重な背徳感だ。
花火の見える場所にたどり着いてしばらくすると、ついに花火が上がり始める。周りからは、おお、という感嘆の声が一斉に上がる。自分も知らず知らずのうちに、つられて声を上げている。きっと同行者も同じように声を漏らし、お互い目を空から離さないまま、始まったね、とだけ言葉を交わすだろう。
屋台で買った食べ物と飲み物を口にしながら、花火を見るという極上の時間だからこそ、そこにしかない邪魔がある。やたらと大声で騒ぐ、金髪の男達。けたたましく泣き出す小さな子供。人混みをかき分けてぶつかってくる無遠慮な人、そして真夏に人が集まって、吸うのも苦しいくらいに蒸し暑くなった空気。普段では珍しい嫌なことが一気に、それもよりにもよって極上の時間を遮るように押し寄せてくる。少し眉をひそめながらも、内心半分はそんな非日常に、胸が踊っている。そしてもう半分の不満さえも、花火の炸裂音が消してしまう。

どんどん時間が過ぎていき、焼きそばは冷え、かき氷は溶けきってしまう。けれど、それを見てため息をつく暇もなく、徐々に盛り上がっていく花火から目が離せなくなっていく。ちょっとした間にスマホを弄っているその瞬間にも、次に頭上で上がる花火をなんとなく期待してしまう。
最後に、怒涛の連続花火があがり、花火大会は幕を閉じる。会場からは拍手があがり、自分もなんとなく軽く手を叩く。
人が多くなりすぎないうちに、と少し足早に会場を後にして、人の波に流されるように、来た道を帰っていく。
会場から離れるほどに人が減っていき、非日常はフェードアウトして日常が帰ってくる。気づいたら、真っ暗になった、見慣れた風景を歩いている。
なにか夢を見ていたような落ち着かない気分のまま、家の鍵を開けて、電気をつけて、蒸し暑い部屋にため息をつきつつエアコンのスイッチを入れる。部屋が少しずつ冷えていくのに連れて、まるで花火大会なんてなかったかのような、味気のない日常が帰ってくる。だけど心なしか、その日の夜は、いつもより機嫌のいい自分がいる気がするのだ。