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25日の日曜日、亀ちゃんの住む亀岡から京都・苔寺迄、『唐櫃(からと)越え』 のウォーキングをしてきました。

距離にして12km、標高差350mです。

今から凡そ430年前の1582年、明智光秀は織田信長を討つべく1万2千の兵を率いて京都・本能寺に向かう際、京都と丹波を分かつ西山の山並みを3つのルートに分かれて進軍しました。



明智秀満率いる部隊は、律令時代に定められた五畿七道の一つである 山陰道の「老ノ坂峠越え」 を、

明智光秀の本隊は、保津川の左岸伝いに水尾の御陵を経て嵯峨野へ抜ける 「明智越え」 ルートを、

最後の一隊は明智治右衛門が率いて 「唐櫃越え」ルートを進みました。 
JR馬堀駅から高低差350mを一気に登り、縦走して “桂川畔” に達する嚴しいコースです。


この後ろの山を越えてゆきます


この「唐櫃越え」は、南北朝騒乱の頃(1352年2月)、丹波国司・少納言少将千種顕経(ちぐさあきつね)が500余騎の軍勢を率いて通過したルートで、北畠親房の指揮する南朝軍と共に戦い、足利義詮を近江に敗走させたと言うことです。

又、永禄13年(1569年)には、三好・松永軍勢が足利15代将軍義昭を京都に攻めた時、丹波・篠山の波々伯部氏が足利将軍に加勢すべく「唐櫃越え」にて馳せ参じました。

斯様に丹波武士の、都への重要な軍道だったようです。


こんな道や、



こんな道も‥‥
昨年9月の大風雨による何本もの大木が根こそぎ倒れていました。



ところでこの古道ウォーキング、亀岡市と京都市西京区の“住民交流事業”の一環として行われたもので、亀岡、西京区それぞれ40名づつ参加した合同ウォーキングでした。

実は1947年(昭和22年)~1993年(平成5年)迄、京都府の衆議院選挙区は京都1区(京都市)と京都2区(郡部)に分かれていたのですが、これが6つの選挙区に分割され、私達亀岡市と京都市西京・右京区とが同じ選挙区(京都4区)になりました。

ということで政治家さんが選挙地盤作りの為、行政に働きかけて、両都市の交流組織・事業を作ったのが発端なんですよ。

まア、市民にとって良いことや役立つことなら異議はありませんで、亀ちゃんも初めて参加した次第です。


北に 霊峰・愛宕山(924m)



南西に 亀岡の市街



朝、集合場所のJR馬堀駅に降り立ち駅頭に出ると、それらしい集団が。
で、一番手前に書類を手にしたおじさんが居たので受付けて貰うべく前に進む。

名前を言うと、「リストに記名せよ」と言う。
えっ、名前は往復ハガキで確認返事が来てるぐらいだからそちらでリストアップしてるだろうが、と思いながらも記入する。

次いで、傷害保険料100円を渡す。 と、
「会員以外の方は200円です」
「なぬ? 会員外? 200円?」 訝りながら追加100円を出すと、鳥の名前や鳴き声を書いたチラシを呉れた。

何かおかしいなア、と思い始めたとき、あっちの方から「亀ちゃーん」と呼ぶ声。
おおっ、あっちがウォーキングのグループなんだ、とようやく悟る。

チラシを戻し、200円返して貰って、「じゃア、こちらは何のグループだったんですか?」 と聞くと、「探鳥の会です」。

「探鳥もいいなア、」と思いながら、ウォーキングのグループの方へ
駆け寄りました。




道々の案内板は整備されていました


蛇行する「保津川」の急流
川は青く塗ったように蛇行して流れています。半島を串刺し
するかの如く嵯峨野線のトンネル。  両側に鉄橋(赤丸印)



赤丸印の鉄橋部分の拡大写真です。
右側の鉄橋の直ぐ下流に保津川下りの遊船、
上流に4雙のゴムボートが。 分かりますか?



昼食も終わって、サア出発!



途中で、一部舗装された広い道に出ました。
平成20年(2008年)に嵯峨野線の複線電化工事で線路の付け替え工事が施工され新しいトンネルが掘られましたがその残土を捨てるための工事用道路でした。


      小2の子も頑張って歩いています


                    
               右側にチラッと写ってる広場が残土置き場でした。



歩くこと5時間あまり、ウォーキングもようやく終盤。
急な坂をドンドン駆け下り、「桂坂野鳥遊園」ゾーンを過ぎると、大きな竹やぶが続きます。 実に見事な竹の群生地です。

そもそも京都の西山一体は昔から竹やぶに覆われていました。


薄青色で塗ったところは一面の竹やぶでした。
延長は20kmは続いているんでしょうかね。

都市開発で相当消滅しましたが、それでも北は嵯峨野(野宮神社周辺の竹の道)から、松尾~大枝~向日市~長岡京市(長岡天満宮)にかけて竹やぶが続き、竹、そしてタケノコが有名産品です。
筍料理店も数多くあります。


竹のトンネルです



ササの絨毯です



手入れも行き届いているようです


終着の「西芳寺(苔寺)」に着くや、缶ビールやソフトクリームで喉を癒しました。 
イヤー、その美味しかったこと、美味しかったこと。 
甘露、甘露でした。


ここで西京区の方々と再会を約してお別れし、我々は亀岡市の公用バス「つつじ号」で亀岡に戻りました。

秋には、西国33ヶ所の、亀岡にある第21番札所 「穴太寺」 から西京区にある20番札所 「善峯寺」 までのウォーキングが計画されています。


  **  亀ちゃんの写真、撮り方が下手なのでいつもボンヤリ(ピンぼけ)しています。        お手数ですが、写真にカーソルを置いて戴くと「拡大」と出ますので左クリック        下さい。 一寸はマシな写真を見て戴ける様なのでよろしくお願いします。