こんにちは。infpyoungです。
今回は前回の続編です。
前回は人間の外側にあるフィクションの話をしました。
今回は内側についてです。
突然ですが、あなたは自分自身のことをどれくらい知っていますか?
とはいっても答えずらいと思うので一つ段階を踏みましょう。
以下の画像はジョハリの窓といわれているものです。
これを使って少し考えていきましょう。
①開放の窓
自分も知っていて他人も知っていることを含む
②盲点の窓
自分が知らずに他人は知っていることを含む
③隠された窓
自分は知っていて他人は知らないことを含む
④未知の窓
自分も他人も知らないことを含む
このフレームは自己理解のためによく使われるそうです。
自分自身が考える自分とほかの人が考える自分とを比べることができます。
ここからが本題です。
この4つの枠に当てはまるものが果たして本当の自分なのか。
一つ目の開放の窓について。
これは自分も他人も分かっていることの中にあるので人間関係の中での共通認識といえます。これがあることで生きやすい人間関係をつくれます。しかしそれはありのままの自分であることという条件付きです。偽りの自分であれば生きにくい原因となります。
二つ目に盲点の窓について。
友達や恋人に「君って〇〇だよね」と意外なことを言われると私たちは新しい自分を発見することができます。それが強みとなり、より良い人生になることもあるでしょう。ただそれは別の言い方をすると他人が自分の存在を決めていると言えないでしょうか。
三つ目に隠された窓。
自分だけが認知しているゾーンです。このゾーンに入り込みすぎると自分に対する思い込みが激しくなります。結果的にネガティブに陥ったり、自分の可能性を狭めてしまうことがあります。
最後に未知の窓。
いわゆる無意識といっても良いかもしれません。
無意識というと分かりづらい言葉に思えます。しかしそれは私たちとは切っても切れないものです。
心理学的には無意識は私たちの判断に大きな影響を与えています。
幼いころに負った心の傷が今の行動を制限しているなどです。
この領域に関してはまず知ることが大切になってきます。
ここでお伝えしたいのは自分は誰かの思い込み/決めつけによってできるということです。
自分がこう思うから、相手がこう思うから。そういった繰り返しによって自分は出来上がっていきます。
こういった意識のことをエゴといいます。
強調しておきたいのはエゴは悪いものではありません。この社会を生きるために必要なものです。
ただそれが暴走しないようにしなくてはなりません。
では本当の自分はいないのかという話になります。
これは正直私にも分かりません笑
確かなのは私そしてあなたは「いま、ここ」にいる/あるということだけです。
それは不自由に思えるし、自由にも思えることだと私は考えます。
だいぶまとまりがない文章になりましたが、今回はこの辺で失礼いたします。
この文章を読んで何か考えるきっかけになれば幸いです。
