こんにちは! nagisa(なぎさ)です。

 

今年の自分自身のテーマは、「感性」「感覚」でかなあとぼんやり考えているところです。

「感性」については、昨年から考えてきていたのですが、

最近割と明確に、なぜ、大事なのかというところがわかってきたので、少し書いてみたいと思います。

 

HSPの方は、「感覚が敏感で、普通の人が感じるよりも多くの刺激に反応してしまう」という特徴があるということが言われています。

近年、HSPに関しては書籍やTVなどで取り上げられることが増え、私自身も認知度が上がっていると感じることが多く、このブログも自分がHSPなのではないか、と気づいた方に読まれているようです。

 

HSPであるという特性は、他の人と異なる「感覚」の感じ方、つまり、「感性」にあると言えます。

それが、弱点でもありますが、発想を変えれば最大の強みでもあるポイントなのです。

 

これまでの人生の中で、HSPである特性のために、疲れやすかったり、辛い思いをしたり、生きづらさを感じたこともあると思います。

そもそも、この社会はそうした繊細な方のために設計されていません。

最大公約数の「普通」を基準にしているため、そこから外れている人はその規格に自分を無理やり合わせるか、「規格外」として生きていくかしかなかったわけです。

(もちろん、ほとんどの人はうまく釣り合いをとってうまくやっているとは思いますが。)

 

このブログを読むに至っている方であれば、HSPについていろいろ調べていることだと思いますので、もうすでに自分の気質や感覚についてある程度自覚的な方が多いと思いますが

自分が生きやすい環境や生活を整えていくためには、自分の「感性」というものを自覚することが重要です。

自分が感じるものは、自分にしかわからないからです。

 

他人にとって「これがいい」と感じるものが、自分もいいと感じるどうかはわかりません。

大多数の人が「快」と感じることが、自分にとっては我慢が出来ないほど「不快」に感じるかもしれません。

言葉にすれば当たり前なことですが、意外とこの自分の感性を基準にして考える、ということが意識できていない場合があります。

 

これまでの私がそのタイプでした。

もともと、そうした他人の顔色をうかがうような性格で(というか、気になってしまう性質)、

特にモラハラ夫(当初はモラハラではなかったわけですが)と結婚し、義父母の家の近くに住んだことによって、

生活上のストレスがMAXになり、また、彼らの言動が私の行動や思考の自由を奪うものであったため、

自然と自分自身の意思や感情が抑えられていくという状況が続いていました。

詳細は省きますが、彼らが非常に保守的な価値観を持っていたため、私自身の主体性や素直な気持ち、感性がナチュラルに否定され、「嫁ならばこうするのが正しい」という行動を要求され続けたわけです。

(「世間的な正しさ」を押し付けて、自分に有利な状況を作ろうとするのがモラハラです)

 

もちろん、自分自身でもそんなものはおかしい、と思い続けていたのですが、「生きていくには我慢しなきゃいけないこともあるよなぁ」「年上の人のいうことは邪見にしちゃいけないよなぁ」とか思って、自分の感覚を自分が抑圧してしまう結果となりました。

最終的には、以前楽しめていた自分の趣味も全く楽しめなくなり、友人関係も限定され、生きる楽しみが全くない絶望状態に陥ってしまいました…。

 

身体的にも支障をきたし、仕事でもミスを連発、物忘れが激しくなったり、めまいがして倒れたりもしていました。

きっとうつ病の始まりとはこういう状況なんだろうなということを身をもって体験したわけです。

 

自分の中の感覚の基準よりも、社会的な常識や他者の意見、もしくは自分が内面化するそれらの常識的な意見を気にしてしまうと、「自分の声を聴く」「自分を大切にする」ということがおろそかになっていきます。

もちろん、人間は社会的な生き物なので、仕事や人間関係上、他人を優先することがあるはずですが、その時に、無意識的に、自分の感覚を自覚しないまま、

「他人の意見のほうが正しい」「社会的に多数派の意見は絶対」のように思ってしまうと自分の心の声を抑圧してしまうことになります。

 

そうすると、自分の感覚に対する感受性も抑圧され、押さえつけられてしまうわけです。

自分の感覚は、むしろ不要なもの、いらないものとして扱われてしまうのです。

一度抑圧されてしまうと、なかなかそれを回復するのも時間がかかります。

 

それの何が恐ろしいかと言えば、そういった状態が長く続くと、自分の人生を生き生きと生きられなくなり、何に対しても興味がわかない、心が動かないといった状態になってしまう危険があること。

自分の心や感覚が「不快」と思っていることを、長く強要され、その感覚を否定、否認(受け入れない)態度を自分が取り続けていると、やはり体のどこかがおかしくなってきます。

 

私も若い頃にはあまり気づきませんでしたが、年を取ってくると、非常に仕事上のストレスが原因でうつ病やその他の疾患になってしまう人は非常に多いです。

仕事を辞めていった人もたくさん身近で知っています。

個人的な意見ですが、そうした人たちは、かなり真面目で頑張りすぎてしまうような性格の人も多かったような気がします。

社会的な要請や人間関係、自分自身の高すぎる期待などによって、自分の「感覚」よりもそうした「常識」「他者基準」を内面化してしまったのかもしれません。

 

これは個人的な経験から言いますが、

 

HSPの方は、自分の「感覚」から離れたところで幸せになることは難しい!

 

むしろ、自分の充実感や幸せを感じて生きるためには、一般的な成功法則や他人の経験談よりも、

 

自分の「感覚」や「感性」に自覚的になることが唯一の道なのではないか?

 

と思っています。

 

人よりも敏感な感覚を持っているのがHSPならば、むしろそれを自覚し、生かしていくほうが、生きやすく、かつ自分自身も充実した生活を送れるといえます。

 

自分はどんな時に何を感じるのか、人とどのような点で異なっているのか、何に心が動くか、どんな時に快/不快を感じるのか…

 

そのようなことに意識的になっていく過程が、私にとっては抑えられていた「感覚」を回復するプロセスとして重要でした。

 

具体的に、私自身がどのようなことを通して、「感性」を回復していく(自覚していく)ことになったかは、また次回書いていきます。

 

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