おはようございますビックリマークnagisa(なぎさ)ですウインク

 

前回は、「自己受容」について書きました。

 

https://ameblo.jp/infpnagisa/entry-12622123255.html

 

「自己受容」とは、ありのままの自分を受け入れること。

 

私の視点では、

「アーティスト」や専門職、

何らかの独自でクリエイティブな活動をされている方は

みなさん「自己受容」ができてる人だと思います。

 

自分が何であるかをわかっている人だということです。

 

自分が何を好きなのか

何が嫌いなのか

 

どういうときに心地よくて

どういうときに不快なのか

 

どういう性格なのか

どういうものによって心が動くか

 

「自分」という人間を誰よりもわかっているということです。

 

 

注意してほしいのが、私の言う「自己受容」というのは、

「自己肯定」とは微妙に違うということです。

 

自己肯定と自己受容を同義の言葉として使う人もいますが

私は、区別して使っています。

 

簡単に言えば、「自己受容」は

 

どんな自分でもOK

 

ということ。

 

自己肯定は、

 

○○な自分ならOK

(条件付き)

 

そういうイメージです。

 

何か、成功体験があって、自信がついたり

何かお金や地位などが得られたことによって

自分を肯定できるようになるとか、そういう感じです。

 

痩せてきれいになったから自分を認められるようになった、とか

勉強して弁護士になれたから自分を好きになった、とか

 

誰かに認められたから

自分を受け入れられる、とか

 

努力した「結果」

他人に認められうる自分になれたから

自分を受け入れられるようになった。

 

そういうものはすべて、他者評価に基づいているものです。

 

もちろん、そういった努力を否定しているわけではないのですが

結果(=他者評価)によって自分の良し悪しを判断すること

というのは「自己受容」とは少し違うのではないかと。

 

もちろん、努力している自分が好きとか、充実感が得られるとか

そのプロセス自体に重きを置いている場合はいいと思います。

 

 

ただ、私が思う「自己受容」というのは、

何か成果や外的評価がなくても大丈夫

ということです。

 

何を持っていなくても、自信がなくても、

 

自分を受け入れていい!!

 

ということです。

 

私も昔、

よくある「ありのままの自分を好きになる」みたいな言葉を聞いても

「こんな自分じゃ好きになれないよ…」っていう気持ちになってしまって

逆に自己否定してしまっていたんですよね。

 

「ありのままの自分を好きになれる人って、

結局そのありのままで素晴らしい人だけなんじゃないの」

みたいな卑屈な気持ちになったり笑い泣き

 

「すっぴんの私が好き!」っていえる人は

すっぴんがきれいな人だけだよね、みたいな(笑)

 

でもその「自分を好きになる」というのは、

実は自己受容の先というか、

結果としてついてくるものみたいなもので

 

最初から無理に好きになろうとしなくてもいいと思うんですよね。

というか、私には無理でした。

 

おそらく、「自己受容」が難しい方は、

自分の感情よりも、

他人軸の評価が頭の中で先に来てしまう人なのではないかと思います。

 

何かについて考えるときも、

自分の素直な「感情」よりも、

 

社会の一般的な「常識」とか、

具体的な誰かが言いそうな反応とか、

自分の頭の中で作り上げたイメージとかが優先されてしまう。

 

例えばあなたがお昼ご飯を食べようとレストランに入ったとします。

その時に、食べるものをどうやって選んでいますか?

 

自分が直観的に「何を食べたいか」よりも

値段、量、カロリー、提供の速さ、これを食べたら一緒に行った相手がどう思うか、etc.など

自分の外のものさしを先に考えてしまう場合。

 

他者軸思考の癖がついているかもしれません。

自分が何を食べたいか、なぜそれを食べたいか、

ということをなかなか意識しにくい場合です。

 

これは一例ですが、生活の中の様々な場面で

自分の感情や感覚よりも、

他人の目や他人の意見(もしくは自分で作り上げた他人のイメージ)に

捉われていることがないでしょうか?

 

他人軸思考が常態化すると、それがクセとなりそもそも

 

「自分がどう感じているか」

 

ということを

自分自身がキャッチする力を見失うわけです。

 

「自分の声を聴く」力が失われている状態です。

 

本来の自分の感情が出てきたときに、

「こんなこと思ってはダメだ」と抑圧し否定するクセ

ついている場合もあります。

 

家庭環境や、パートナーとの関係性(モラハラなど)によって

自分よりも他人を優先して生きるのが常態化していくと

思考もそういうクセがついてしまうわけです。

 

これの何が問題かというと、

自分軸ではなく、他人軸の思考の癖が抜けないと、

まずすべての活動に関する判断がうまく出来ないということ。

要するに、自分が何をやったらいいかがわからなくなり、自分自身がぶれていくわけです。

 

一時的に、自分で何かを決めたように感じていても、

後々「私は本当にこれがやりたかったことなのか・・・?」と

迷ってしまったり、充実感が得られないということも。

一時的にはよくても、どこかで行き詰まってしまう。

 

それは、自分の声を聴かずに、誰か別の人の考え方や、

他人の目、世間の考え方を内面化してそれに従ってしまうからなんですよね。

 

だから、就活、婚活、転職、など、様々な転機の際や

何か人生に迷っているという場合、

その時すぐに決断をするのではなくて、

 

まず一度立ち止まって、自分自身を振り返って

「自己受容」ができているのか考えてみるのがいいかもしれません。

 

前回も書きましたが、わかりづらい人は、

「自己受容」と聞いて、

無理やりに自分を納得させることとか、

受け入れようとすることじゃなくて、

 

自分の感情や気持ち、あるがままの姿を

「認識する」

という感じに捉えたらいいかもしれません。

 

ああ、私今こう思ってるなぁ…とか

ああ、今私はこういう感情をもっているなあ とか

これが原因で悲しい気持ちになっていたんだなあ とか

 

それを外的な評価基準からジャッジしないで、ただ、自分自身が受けとめる照れ

 

「嫌い」と思っても、「あの人はいい人だから、そんなことを思うのはダメだ」とか

「本当は離れたい」と思っても、「一度結婚したから離婚なんてできない」とか

「仕事をやりたくない」と思っても「お金を稼がないと生きていけない」とか

 

世の中のルールや常識によって

自分の感情をふさいでしまうことがないですか?

 

そういうときに、「本当は・・・」の部分の感情を、まずは自分が認めるということです。

 

それがどんなに悪い感情だと思うものであっても、

どうせ外には出さないで人に聞かれなければ全然OKなわけなので

まず、自分だけでもそれを認めましょう。

 

「自己受容」の話はまだまだ続きますが、

とりあえずまとめとしては

 

①「自己受容」はすべての基本

②自分の感情や感覚を認める=「認識する」こと

③自己肯定感(何かに成ったことにより自分を認める)とは異なる

④ダメな自分、ダメな感情、嫌いな部分も受け入れる

 

と考えてみることをお勧めします。

 

ここまで読んでいて、

「そんなこと出来ない…やっぱり私は「自己受容」もできない、ダメな人間だ…」

と思ったあなた。

それでも全然OKビックリマーク

 

「ああ、「自己受容」できなくたって、自分は自分だよね」

と思ってOKです。

 

「認める」という言葉が堅いと感じたら

 

自分は自分だよね

私は私だよね

僕は僕だから

 

そんな感じでいいと思います。

 

「自己受容」は

 

他者評価軸から自分軸への転換

 

なので、

 

少しずつゆっくりと変化が表れていくものの場合もあれば

 

何かのきっかけで、視点変化が起こり、

一夜にして見える景色が変わる、

ということもありえます。

 

ただ、長年しみついた思考のクセというのはなかなか抜けないので

これから少しずつ、練習のようにやってみてください。

ちょっとずつ意識が変わっていくはずです。

 

自己受容については、結構いろんな方が本やブログに書いているので

それを参考にしてみることもいいと思います。

 

ただ、その「自己受容」が条件付きになっていないか意識してみてください。

 

もう少し詳しく知りたい方は、以下の本も参考になると思います。

(私はちゃんと読んでないので、今度読んだらレビューします)

 

 

 

 

 

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