千三十五話 二宮翁 夜話読合せ  因果輪回の法則  仏教で因果、儒教で天命 | コール通信 UsuiTukasa

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        仏教で因果、儒教で天命

 あるひとが、因果と天命との差別をたずねた。翁はいわれた。――因果の道理がいちばん見やすいのは、まいた種がはえることだ。それで私は、「米まけば米の草はえ米の花 咲きつつ米の実のる世の中」の歌で人をさとしている。仏教では、種によって生ずる方からみて、因果といった。けれども、種も地にまかなければはえない。まいても、天の気を受けなければ育たない。だから種だけあったところで、天地の令命にそらなければ生育もせず、花さき実のりもしないのだ。儒教は、この方からみて天命といったわけだ。
 天命とは天の下知というような意味で、悪人が刑罰をまぬがれたのをみて、仏教では因縁がまだ熟しないといい、儒教では天命がまだ下らないという。・・・・・・略・・・・・・・。

引用 訳注二宮翁夜話 福住正兄原著 佐々井典比古訳注より


かんそう
因果の法、天命の法どちらも言い方ニュアンスに多少違いがありますが
本質はおなじことをいっているのですね。原因を行ったからそれが育って果

となるんので、ただ育っていることがみな気づいていなく果を見てびっくり
するんですね。ジブンにとって喜ぶことであればいいですが、辛いことは

いやですよね、どもジブンのまいた種からおきることですからね、それも
ジブンの肥やしとおもってそれから良い種を撒いてゆきましょう!


ウスイツカサ