聖人の名は実行の結果
翁のことばに、聖人も、聖人になろうとして聖人になったのではない。日々夜々、天理にしたがい人道を尽くして実行しているのを、わきから見て、ほめて聖人といったものだ。堯舜も、一心不乱に親に仕え、人をあわれみ、国のために尽したまでのこと、それを、わきからその徳をほめて聖人といったのだ。ことわざに、「聖人聖人というのは、だれのことかと思ったら、おらが隣の丘のことか。」ということがある。まことに、さもあるべきことだ。私がむかし鳩ヶ谷の宿(埼玉県鳩ヶ谷市の中心部)を通ったとき、不二講で名高い三志という人がいるはずだからと尋ねてみたが、三志といってはだれも知る者がない。よくよく問いただしたところ、「それは横町の手習師匠の庄兵衛がことだんべえ。」といったことがあった。それと同じことなのだ。
感想
聖人はただ黙々と実行・実践しているだけで、人がそれをみてあの方は聖人だということですね。
ウスイツカサ