二百八十一話 二宮翁  夜話より | コール通信 UsuiTukasa

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    学問は身をもって教えよ

 しょうのない儒生があった。翁の愛護を受けて儒学を子弟に教えていたが、ある日近所の村に行って大酒を飲み、酔って路傍に寝ころんで醜態をきわめた。その弟子の、某氏の子がこれを見て、あくる日から教えを受けなかった。儒生は憤慨して翁のところに来て、私の所行がよくないことはいうまでもありませんが、私の教えるところのものは聖人の書です。私の行いがよくないからといって、ついでに聖人の道まで捨てる道理がありましょうか。あなたから説き聞かせて、再び学問につかせて下さい、と頼んだ。翁はいわれた。――お前さん、腹を立てるでない。私がたとえを引いて説明してあげよう。ここに米がある。これを飯にたいて、肥桶に入れたら、お前さんは食うかね。もともと清浄な米の飯に疑いない。ただ、肥桶に入れただけのことだ。それでも、だれも食う者はない。それを食うのは犬だけだ。お前さんの学問もそれと同じことだ。もとは赫赫たる聖人の学だが、お前さんが肥桶の口から講釈するものだから、弟子たちが聴かないのだ。その聴かないのを不条理といってとがめられるか。・・・・・


  感想
 人に教えを説く時は、身をもって教えないと通じない。どれだけ話が聖人の書(教え)であろうと、聴く姿勢にならないと教えは通じない。

聴く方の立場になれば誰もがそうであるように、先生の行いが悪いと教えまで悪いものとなってしまう。

先生でなくとも皆同じです、信用・信頼は態度や行いでみられます。
新年にあらためて今日の話を味わいたいと思います。

ウスイツカサ