二百七十一話  二宮翁 夜話より | コール通信 UsuiTukasa

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           中庸の所在

 翁のことばに、聖人は「中」ということを尊ぶ。ところでその「中」というものは、物によって一々ありかが違っている。あるいはその物の真ん中に「中」のあるものもある。物差の類がそうだ。あるいは片よって「中」のあるものもある。竿秤のおもりの位置がそうだ。熱くなく冷たくないのはお湯の「中」甘すぎず辛すぎないのは味の「中」、損もなく得もないのは遣り取りの「中」だが、盗びとは盗むのをほめ、世人は盗むのをとがめるなどは、どちらも「中」ではない。盗まず盗まれないのを「中」というべきだ。この理は明白である。
 ところで忠孝は、他と我と相対する場合に生ずる道だ。親がなければ孝行しようと思ってもできないし、君がなければ忠義をしようと思ってもできない。それゆえ、片よらなければ至孝至忠とは言いがたい。君の方に一ぱいに片よって、はじめて至忠なのだし、親の方にぎりぎりに片よって、はじめて至孝なのだ。片よるとは、尽すことを言うわけだ。・・・・・・


 感想
 今日のお話しは、中庸に関してでした。中というから力の出し方も中位で調整とるのがいいのかなあと思ったら、精一杯力を出す事により中庸の位置がわかると教えていだだきました。
中庸の所在はそのことそのことで違い、共通する事は力を尽くすことがわかりました。

ウスイツカサ