まずはwikipediaから↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%AC%E6%9C%9D%E5%A0%B1

ご存じの方も多いと思いますが、自分の勉強もかねて適宜「萬朝報」関連の情報をまとめていきます。


そもそも、今回これをテーマにしようと思ったきっかけはジュール・ヴェルヌのせいでした。

今年の新刊にフランスの学者数名が執筆した『ジュール・ヴェルヌの世紀』という本があるのですが、その巻末に各国翻訳年表が付いていて、日本人で「森田思軒」の名を見つけたことが始まりです。

ヴェルヌの初訳は川島忠之助ですが、漢文の素養を活かした格調高さと原文の良さをそのまま伝える「周密文体」によって、明治期にヴェルヌを積極的に紹介していった翻訳家の一人が森田思軒です。今ではあまり名の知られぬ文筆家になってしまいましたが、当時は森鴎外や尾崎紅葉らと並び称される人気作家だったのですよ。

そして思軒の死後、遺志を引き継いでヴェルヌ作品の紹介を行っていったのが黒岩涙香。「萬朝報」の主催者です。涙香の翻訳の魅力は、思軒とは反対に、原作を大胆に翻案してしまうところにありました(ちなみに『レ・ミゼラブル』を『ああ無情』と題したのは彼です)。

涙香は、ほかにもガボリオ、ボアゴベなどフランスの推理小説や欧米のダイム・ノベルの多くを「都新聞」「萬朝報」などに翻訳発表し、人気を博しました。また、日本における推理小説の祖としても有名です。



そもそも自分が「萬朝報」をはじめて知ったのは、中学校の歴史の資料集だったとおもいます。たぶんコラム欄程度の扱いだった気がしますが。高校になると、それまでリベラルだった「萬朝報」が日露戦争を境に主戦論に傾いていったというような記述を読み、何となく違和感を抱きました。のちに平民新聞を発刊し、大逆事件で処刑された幸徳秋水らが所属していたような新聞社がですよ!

明治を舞台にしたティーン向けのミステリで、気さくなオジサンとして涙香が出てたという記憶があったので、その中学と高校における萬朝報のイメージが結びつかなかったのだろうと思います。

自分なりにこういう経過があったので、今回ちょぼちょぼと調査を始めました。まあ、資料を少しずつ読むなかで、幸徳秋水らと袂を分かったのにも、断腸の思いだったのだとわかってきましたが・・・・・・。