子供の頃の夢

私は割と夢多き子供だったと思います。
一番最初になりたかったのは、
「美容師」さん☆
人の髪を触るのが好きだったんですねぇ~(^-^)
小学3年かそこらまでは美容師さんになりたいと思ってました。
美容師さんの夢を諦めたのは母のこんな一言から・・・
「美容師さんはパーマ液とかで手が荒れるし、ずっと立って仕事しなきゃいけないから、とても疲れる仕事なんだよ・・・」と。。。
この一言だけで夢が消えてしまう私も私だけど(^-^;
それからは、スイミングに行くようになり、コーチに憧れてスイミングのコーチになりたいと思ったし、同時期に習っていたギターの先生にもなりたいと思いましたね。
結構影響受けやすい子供だったんだと思います。
中学に入り、しばらくこれ!と言った夢はなかったのですが、中2のある日、音楽室のグランドピアノを調律する調律師さんの姿を見てかなり「ビビビ!!」ときましたね☆
ピアノを習ったことはなかったですが、母の影響で子供の頃から家でエレクトーンなどを遊びで弾いていたし、鍵盤楽器が好きだったのと、音楽はとにかく大好きだったので、そんな仕事があるのかと衝撃を受けたのです。
その衝撃が忘れられず、調律師の仕事についてあれこれ調べはじめました。
通常は専門学校へ行き、約2年間専門の勉強をして、楽器店などへ就職して仕事をするというのがセオリーなのですが、母子家庭である私には、高校卒業以降は就職をしようと決めていたので、半分あきらめていました。
すると、母の友人が、楽器店に工房があり、調律師を育成しながら仕事をさせてくれる楽器店が大阪にあると教えてもらい、高校に入り問い合わせ、一度調律師とはどんな仕事なのか、大阪へ行き見学をさせてもらいました。
狭い工房の中に沢山のピアノがひしめき合い、とても綺麗だとは言えない場所でしたが、私にはとても感動的な場所でした。
当時の社長(現会長)に高校3年の夏になっても気持ちが変わらなかったらその時にもう一度面接するから来なさいと言われたのです。
それからは私の夢は変わることなく、高3の夏に正式に面接へ行き、入社することになったのです。
実際入社してからはそれはもう大変でした。
技術職ですし、私以外の人は皆専門学校を卒業して即戦力として仕事ができる人ばかり・・・
必死に勉強しました。
実際調律をさせてもらうまでには1年かかりました。
それまでは、ピアノの外装の修理、塗装が主でしたが、私はこの仕事結構好きでした。
調律よりかも性に合っていたんじゃないかと思います。
ただ色んな塗料やシンナー類を使うので、よく倒れたりしてましたね・・・
過酷な仕事でした。
塗装の仕事が少しできるようになってきてからは、調律の3大要素(調律・整調・整音)の整調を習いはじめました。
整調は私にとってはとても頭を悩ませる仕事でした。
先輩にもよく怒られてましたね・・・
そんなこんなで約2年勤め、諸事情のため、九州の実家へ帰ることに・・・
調律の仕事を続けようかと思いましたが、楽器業界の景気の悪さにはただならぬものがあったのを知っていたので、楽器店への就職をあきらめ、しばらく職業訓練校へ行き、次の仕事を探すことに・・・
結局好きな音楽の仕事から離れることができず、また楽器店へ入り、そこでは調律の仕事ではないものの、約9年従事しましたね☆
やはり音楽が好きだったのです。とても楽しかったですね♪
今も子供のように夢を追っています。
サロンの開業をするのはこの仕事を始めてからの夢でしたし、それが実現できたのは本当にラッキーだったと思います。
まだまだやりたいことが沢山あります。
そういう意味では大人にはなったものの、まだまだ子供のようなところもあるのかなぁ~っと思いますね(^-^)
がばいばあちゃんの格言にもありますが、
「人は死ぬまで夢を持て! その夢が叶わなくてもしょせん夢だから」
この言葉とても好きなんです。
私は死ぬまで夢多き子供のような人生を送りたいと思っています☆