【ZOOM】“笑いの仕掛け人”横澤彪さん 芸人の個性を解き放つ | infochance

【ZOOM】“笑いの仕掛け人”横澤彪さん 芸人の個性を解き放つ



 1月8日に73歳で死去した元フジテレビプロデューサー、横澤彪(たけし)さんは、「演出された笑い」が主流だった時代に「芸人の個性」を解き放ち、「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも!」などのヒット番組を次々と生みだした。横澤さんをよく知るフジテレビの塚越孝アナウンサー(55)とともに、“笑いの仕掛け人”の足跡を振り返る。(三宅陽子)



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 ■ガチンコ勝負



 昭和55年、テレビに新風を吹き込むお笑い番組が誕生した。「THE MANZAI」(~57年)。それまで漫才といえば、芸人の衣装は派手な背広にネクタイ姿が主流だったが、番組ではツナギやトレーナーなど思い思いのいで立ちで登場させた。観客席で笑い声を上げる「笑い屋」を動員する慣例もやめ、代わりに大学の落語研究会など笑いに厳しい目を持つ学生を観客に集め、笑いの“ガチンコ勝負”にこだわった。



 「『今』が出ていることが笑いの基本」と話す横澤さんの下、見いだされたツービート、島田紳助(54)らが次々と個性を発揮。タブーだったテレビCMを利用するネタも飛び出し、枠にとらわれない笑いは、若者を中心に漫才ブームを巻き起す。



 塚越アナは「柔らかな物腰だが、反骨精神を持ち、権力、権威を笑う知的な“毒”を常に笑いに忍ばせた。現状を打破して新しいものを作る、そんな思いを常に持っていた方だった」と横澤さんを語る。



 当時は、綿密に組み立てられた脚本と演出で知られるザ・ドリフターズのコント番組「8時だョ!全員集合」(44~60年、TBS系)が国民的番組として君臨していた。そんな中、裏番組でビートたけし(64)や明石家さんま(55)らを起用し、これまでのバラエティーの常識を覆す「オレたちひょうきん族」(56~平成元年)を仕掛けた。



 芸人だけでなく、ディレクターらスタッフまでも“出演”させ、下ネタや著名人のパロディーネタもタブー視せずに放送。収録で起きるさまざまなハプニングもさらけ出した。



 ■常識破りの番組



 「『全員集合』が計算し尽くされた笑いなら、『ひょうきん族』は何が出てくるか分からない面白さがあった。放送作家のアイデアや芸人らの個性が出合ったときの化学反応。まさに、常識破りの番組だった」(塚越アナ)



 個性と個性がぶつかり合う収録現場で、横澤さんは調整型のプロデューサーではなかった。上司や編成担当とぶつかることもいとわず、自らを「けんか屋」と称していたという。



 番組はスタートから約5年で「全員集合」を終了に追い込むまでに成長。今でも「ひょうきん族」の流れを組む笑いはバラエティーの主流であり続けている。



 ■今の笑いに“不満”



 平成7年、横澤さんはフジを退社。吉本興業に入社後は東京本社代表などを歴任し、笑いの原点であるネタを芸人に競わせる番組を手がけるなど、次世代スター育成にも力を入れた。



 背景には、いまのバラエティーに対する憂いがあったという。人気タレントがスタジオでフリートークをするといった似通った番組が増え、過激なことは敬遠する傾向が強まり、強烈な個性を感じさせる人材も少なくなったことを気にかけていた。



 「今のテレビ局はご立派になっちゃったな。制作者は芸能事務所との関係作りばかりに力を入れて、タレントを引っ張ってきてひな壇に並べるだけの“ブッキング屋”になっている」。そう漏らすこともあったという。



 「常に攻めの気持ちで現状に甘んじることを嫌った横澤さんだからこそ、“横澤的”なものを打ち破るお笑い番組が見たかったのではないか」。塚越アナは、横澤さんが後進に期待したものをこう代弁した。

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