母の記憶 | we go every day 行こう笑みで。

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私と子ども達。一番大切な家族との日々。


物心つくって、いくつからだろう?
自分の中の 一番幼い頃の記憶って 何歳ですか?



私はほんとーに一番最初は…
4歳?くらいかなぁ…。


みずきは6歳になりました。

今日の出来事を、いつか大人になって思い出す日が来るかもしれないんだな。
そう思うと、いい加減なことできないな、
という気持ち。。😅


1、2歳の頃のことを覚えてる人ってほとんどいないじゃん。
みずきがその頃の記憶も、
もう無くなってることの方がとっくに多い。

通ってた保育園、仲良しだった女の子のこと。
あんなに大好きだった先生の写真を見せたときに
誰だっけ?
と言われたときは衝撃だった。。。


私がみずきの歳の頃、

私のお母さんは、
いつもいつも優しかった。


小学校低学年の頃、
弟がお母さんにポケモンカードとそっくりに自由張にポケモンを描いてとよくねだっていた。

しかも、朝学校に行く前に!💥💥💥

そんな時も母は一つも怒らず、描いてあげていた。
(母は美大出身で絵が上手だった)


ありえない。💥
朝!学校前に!💥
ちょーーー忙しい時間!💥💥
そんな余裕があるほど早起きができていたわけもない!

早起きと言えば、
私たちきょうだいを朝起こすときも、
母は優しかった。

こらー!いつまで寝てんのー!早くしなさい!
なんて、決して言わないのだ。

「かなちゃーん、朝だよー、かなちゃんエライからすーぐ起きちゃうぞー🎶」

って言ってた。毎朝。
これは我が家でもやり過ぎエピソードの一つだ(笑)

私の絵をいつも褒めてくれた。
でも、テストで100点とってもさほどだった。
休まず学校行ったらとても喜んだ。
通信簿でオール5よりよっぽど喜んだ。

もちろん怒られた記憶もある。

だけど、それ以上にいつも優しかった母の言動、
今でも覚えてる優しい記憶、
私は愛されていたんだと、思い出すことができる記憶。

それは、自分の自信につながり、
学校生活も、仕事をするときも、知らず知らず
エネルギーになると思っている。


同じことみずきにもやってあげればいい。
まねすればいいんだから、簡単じゃない?

で、、できん!😵
むしろ真逆のことばかり。

怒ってばっかり。
ため息ばっかり。
優しいお母さんに育てられたはずなのに、
だからって私もそうなれるわけじゃないのか。…

当たり前のようにやってくれていた優しさ。
でもそれは、努力して、そうつとめなければ、
とうていできないことだった。

痛!感!


いつかみずきが大人になって、
私の記憶を思い出すとき、

私はどんな母親として残っているんだろう。


なんとなくでいい、
優しい、楽しい、お母さんを 残せたら。

それでやっぱり一番大切なのは
自分は愛されていたんだなと、思い出せるように。

(でも!母曰く、褒めすぎて打たれ弱く育ってしまった…という感想だそうです😂子育てムズい😂)


小学校生活が始まり、
子育てもまだまだこれからが大事なんだよな!
という、気持ち。





そんなことを考えて始まった30歳。
勢いだけの20代とはまた違う、
(いやほんと、勢いだけだったなこれまでの人生😂)

楽しい30代にしていけますように。

そしてもうすぐ母の日。
きちんとありがとうを伝えたいな。ブーケ1