それぞれたったの10日間。
最初の一回目に帰ってきたとき、
みずきとれなは、本当に久しぶりのおじいちゃんとの再会だった。
ずっとコロナやインフルなどの感染予防対策で
病院には基本的に子どもは入れないから。
楽しみにしていた再会だったけど、
おじいちゃんは
はっきり言って、変わり果てた姿だ。
笑って、はしゃいで、遊んでくれた大好きなおじいちゃんの面影はもうそこにはない。
子どもなんて正直な生き物だから、
愛想笑いとか、そういうこともできなくて、
ただただショックを受けていた。
え、これがおじいちゃん?
それを言葉にすることすらできなかっただろう。
残酷だけど、しゃうがない。
人は歳をとるし、
病気になれば、体が動かなくなることもある。
痩せるし、顔つきも変わる。
それはしょうがないことなんだと、
全部病気のせいなんだと、
子どもたちなりに、時間をかけて理解したようだった。
でもその再会の直後、
再び入院。
さぁこれから在宅介護だと意気込んでいた矢先。
嵐のようにまた戻っちゃった、、、
とお母さん。
きっと、孫に会うために退院してきたようなもんだね、と話した。
それから、また帰ってこれた時には
前回よりも、意識レベルが落ちてるのは目に見えてわかった。
それでもよかった。
お母さんは自宅で一緒にいれればなんでもよかったのだ。
だけど、あらゆる感染症やら臓器の異常などが見つかり、
また入院。
それで今に至る。
私もお父さんに最後に会えたのはいつだろう。面会謝絶で全然会えていない。
お母さんは特別に週二回、30分づつだけ、面会が許され、喜んでいた。
お父さんの状態は良くなったり、悪くなったりを、繰り返す。
もう本当に奇跡でしかない。
お父さんがなんとか生きているのは奇跡。
医者から、
もう、家に帰るのは無理だろうとのことだった。
今いる病院はICUも完備しているような病院だけど、
そういう病院にはいつまでもいられない。
お父さんはもう、どんなに病気や異常が見つかって、
手術をしなくちゃならない場合でも、
体力的にもう手術はできないから。
そうなると、療養型 という病院に行くことになる。
もう寝たきりで死を待つだけのような場所と言えなくもない。
一般病棟のように、お父さんに異常があっても、なかなか発見までには至らないだろう。
看護師さんの数も限られ、今以上の待遇は到底無理だろう。
だからね、
もう最後くらい
おうちで過ごしたいよねっていう家族の考えです。
自宅に戻って次、なにか異常が見つかっても、
ほぼ助かる可能性は低くなる。
少しでも延命できるという可能性は低くなるかもしれない。
そうだとしても。
そうだとしても、最後くらい
お父さんはお母さんと一緒にいたいはずだ。
もうお父さんの今の状態は、
もう気力のみでなんとかなってるだけど、医者からいわれ、
私達家族も、本当にそうだと思う。
でもね、
いよいよ、本当に、覚悟をしなくちゃいけないんだと思うと
やっぱり、悲しくてたまらないんだよ。
あー、本当にお父さんのこと、大好きだったなぁと思う。
どうせなら、もっと嫌な父親だったら
こんなに悲しくならずにすんだのにとか、
何度も何度もおもうけど、
なんで、うちのお父さんなんだよ、と。
なんで、よりによってお父さんが病気にならなきゃならないんだよ。
もっと、ほかにいるじゃんか。悪いやつ。嫌なやつ。
お父さんが倒れた直後から、
一年半くらいでしょうか。
一年半の間、本当によく頑張ってたなぁ。
しんじられないくらいに。
あーもうどうしよう。
涙が止まらなくって。干からびそう。
まだお父さん死んでないのに(笑)😂
まだ死んでねーぞーってお父さんに怒られるわ。😂
最後は自宅で家族と過ごさせてあげたい。
その願いがせめて、叶いますように。
今はそう祈ります。

