僕はその日、小さな花束を持ってある場所に向かっていた。

そこは、ヨコハマの観光名所でもある外国人墓地から更に海側に進んだところにある小さな石碑。
以前一度だけ太宰さんをこの場所に迎えに来た時に、太宰さんはその石碑を背にもたれ掛かる様にして寝そべって空を見上げていた。

僕はその時、石碑に書かれた『S.ODA』の文字を見ると、太宰さんに声を掛ける前にその石碑、十中八九間違いなくお墓だろうそこに向かい手を合わせた。

「誰のお墓かわかっているのかい?」
その問いかけに僕は頭を振った。
「いえ。でも、太宰さんにとって大事な人なんですよね。」
僕は応えた。

そこに眠る人が誰なのかなんて、もちろん僕にはわからない。
だけど、あんな顔をしている太宰さんを僕は今までに見た事が無かった。

太宰さんのおかげで探偵社に入社してからしばらく経つ。
太宰さんは行き場を失くしていた僕を導いてくれた恩人だ。
もちろん、太宰さんが探偵社の皆を信頼しているのはわかるし、僕はそれを疑ったりはしない。

だけど、その時の太宰さんは確実にいつもと違っていたから。

だから僕は確信したんだ。
その人は間違いなく太宰さんにとってとても大切な人なんだろうって。

だけど、即答した僕に太宰さんは薄笑いを浮かべてたずねて来た。
「何故そう思う?」
僕はその問いかけと、太宰さんの感情の読み取れない表情に少しだけ首を傾げた。

「太宰さんがお墓参りしている姿なんて初めて見ますから。」
「これがお墓参りしている様に見えるかい?」
再びの問いに僕はもう一度首を傾げた。

まあ、いわれて見れば確かに。
お墓にもたれかかる人を見るのは初めてだけど。
それでも間違いないだろうっていう確信があったから僕は応えた。

「見えますけど。」
素直な気持ちで答えた僕に、少しだけ瞠目した後、太宰さんはゆっくりと微笑んで言った。

「友人だ。」
ただ一言、そう言うと、太宰さんはその後どこかに消えてしまったんだ。

僕は、その後に起きた事件の事とかも思い出しつつ、その場所に向かった。

すると、意外な事に、そこには先客がいた。
だが、それは太宰さんではなかった。

「君は・・・。」
呼び掛けた僕に、彼は大きく目を開くと、立ち上がった。
そして、少し照れた様に指先で頬を掻いて苦笑を浮かべる。

その顔は、僕が初めて彼に会った時からは考えられない様な、穏やかな表情をしていた。

「久しぶり・・・かな。」
そう僕に笑い掛ける彼の前にはあのお墓の石碑があって、そこにはその小さな石碑におさまるくらいの小ぶりの白いバラの花束が置いてあった。
それは、彼が置いたものなのだろう。

「うん。えっと・・・。ちょっと待っててね。」
僕はそう言うと、腕に抱えていた花束を彼の花束の横に置き、手を合わせた。

あの、太宰さんをここで見かけた日から、何度かここに来てこうして手を合わせている。
太宰さんはきっとそんな僕に気づいているだろうけど、何も言わない。
だから、僕からもあえてその事について太宰さんに話す事は無かった。

僕は顔を上げて立ち上がると、彼と向かい合い顔を見合わせる。

「そういえば・・・。」
彼が言った。
「まだ、まともに自己紹介もしてないんだっけ。」
苦笑した彼に僕は頷く。
「うん。前に会った時に、青子ちゃんから君の話は聞いていたけど。僕達はまだだったね。」
「ああ。」
応えた彼が、僕の目の前に右手を差し出した。

「オレ、黒羽快斗。」
「うん、僕は中島敦。よろしくね。」
「こちらこそ。」
彼の手を取って応えると、彼、黒羽君はやっぱり照れた様な笑みを浮かべた。
それから、お互いに何も言わずにその丘から海の方に視線を向けた。

そんな僕達の耳に、港の方から船の出向を伝える汽笛の音が聞こえた。
傾きかけて赤く染まる日の光が波間に反射してキラキラと揺れる。
潮風がそよぎ、かもめが泣き声を上げて飛んでいく。

「綺麗な景色ですね。」
「ああ。」
応える彼の横顔を僕は見つめた。

本当に、彼は、彼・・・。
『怪盗キッド』と呼ばれ、警察に確保不能の大泥棒と謳われたあの泥棒なんだろうか?

僕のそんな心の声が聞こえたのだろうか?
彼が振り返ると、フッと息を吐いて微笑む。

その瞬間、何も変わらない。
目の前の彼の姿も同じはずなのに。

彼の醸し出すオーラがガラリと変わった。

「これは・・・。」
言い掛けた僕は目を瞠った。

そのオーラは確かに、あの捕り物の夜、僕があの泥棒と相対した時に、彼が発していたものとまったく同じ。
凛と研ぎ澄まされた、冷涼な気配の中に混じる張りつめた空気。

大きく目を見開いたままの僕に、彼はもう一度フッと息を吐いた。
すると、一瞬で彼が纏う空気が優しく穏やかなそれへと変貌する。

そんな僕に彼。
黒羽君は笑い掛けて言った。

「やっぱり、においでわかった?」
その問いに、僕は何を聞かれているのか、すぐに気づいた。

探偵社の仕事で、怪盗キッドという泥棒を追いかけた僕は、その時に彼のにおいを虎の嗅覚で記憶した。
そして、それからしばらくして、太宰さんと通りかかった公園で彼を見かけた時、僕はすぐにそのにおいがあの時の泥棒のにおいと同じである事に気づいて確信する。

だけど、最初に会った時の彼と、その時会った黒羽君は全然別人の穏やかな顔をしていたから、僕は信じられない気持ちでいっぱいだったんだ。

「うん。」
「そっか。」
応えた僕に黒羽君は再び港に目を向けて目を細めた。

「探し物は、見つかったの?」
たずねた僕に黒羽君は息を吐くと、瞼を伏せて頷く。

「ああ、見つかった。」
そう言うと顔を上げて口許に柔らかい笑みを浮かべる。

「でも、探していた以上に大事なモノをオレは見つけたから。」
そう笑う顔は、本当に満ち足りていて、幸せそうに見えた。

『だって、彼・・・なんかいい人そうだし、憎めないっていうか。むしろ助けてあげたい・・・。』
『きっと、彼にも何か夢があるんだと思います。だから、その夢がかなうといいなって・・・・。』
僕はあの時太宰さんに伝えた言葉を思い出して、僕も口許に自然に笑みが浮かぶのを感じた。

「良かった。」
応えた僕は、黒羽君と二人でその後少しだけ話をしたんだ。
僕が太宰さんのいいつけで青子ちゃんと二人で黒羽君と太宰さんを待っていた時に、青子ちゃんから聞いた話。
それから、、僕がヨコハマで一押しの・・・というより、他に知らないだけだけど。
茶漬けのおいしい店や湯豆腐店、鏡花ちゃんのお気に入りのクレープ屋さんの話をして。

そうして、あっという間に時間が過ぎて、空はいつの間にか星空へと変わっていた。

「オダさん・・・っていうんですよ、ここに眠る人。」
「ああ。」
「どんな人なんだろう?」
呟いた僕に黒羽君がポケットに手を入れるとスゥッと目を細め空を見上げる。

「すっげぇいい人。」
あとは内緒・・・と。
黒羽君は口許に人差し指をあてて笑った。

それから黒羽君は、もう一度息を吐くと僕を見つめ微笑む。
「青子が待ってるから。そろそろ帰らなきゃ。」
「うん。」
帰りを待つ人がいる。
それがとても幸せである事を僕は知っているから。

「うん。またね。黒羽君。」
「それじゃ、また。敦君。」
応えた僕に黒羽君は手を振ると、踵を返し歩き出す。

そういえば、お互いに名前を呼び合ったのは、その一度きりだった・・・と、僕は黒羽君の背中を見ながら初めて気づいた。

「黒羽君・・・。また、いつかどこかで。」
僕は小さな声でそう言いながら、その後姿を見送ると、探偵社へ戻る為にその場から歩き出したんだ。

いつかまた。
その日が来る事を信じて。

Fin.