「アレキサンドライト、黄帝の宝石・・・か。」
呟くと、その頬にそばかすのある男はフッと息を吐きポケットに手を入れ踵を返した。
「たくっ・・・。毎度毎度、大枚はたいて良くやるぜ、あの爺さんも。」

それにしても・・・と。
その男は心の中で呟く。

ここはスカイデッキと呼ばれる、鈴木次郎吉氏肝いりの宝石の展示室。

だというのに、警備といえば、入り口に一人警官が配置されているだけで、中には誰もいない。
その状況に、男はフッと息を吐いた。

(それだけ防犯システムに自信あり・・・っていう事か。)
声に出さずに呟くと、そこから歩き出そうとした。

その時。

バタンッと勢いよくドアが開く音がして、男はそちらに顔を向けた。
そこには、自動で閉まるスライドドアの前で、目を瞠り立ち尽くす少女。

蘭の姿があった。

「ようこそ、お姫様。」
「その声・・・怪盗キッド?」
問いかけた蘭に男は頷く。
「ええ。事情があって、今この変装をこの場で解く事は出来ませんが。」
そう言うと、蘭が目を細めて、キッドと自称した男を見つめる。

「という事は、黒羽君?」
その問いに息を吐きその男、怪盗キッドの真実の姿である黒羽快斗ががらりと身に纏うオーラを和らげると蘭に向かって微笑む。
「そうだよ、蘭ちゃん。」
「えっ・・・、でも。私さっき・・・。」
言いかけた蘭に快斗が歩み寄り言った。

「さっきまで蘭ちゃんの隣にいたオレは、蘭ちゃんが心から待ち焦がれていた王子様だよ。」
その言葉に蘭は大きく目を開いた。

「それって、もしかして、新一?」
「そう。理由(わけ)あって、あいつにオレの変装をしてもらってるんだ。」
「嘘・・・、全然気づかなかった。」
驚きを隠せない蘭に、そばかす顔のままの快斗が苦笑する。

「そりゃあもう、2週間徹底的にみっちり演技指導叩き込んどいたから。おかげで完璧だったでしょ?」
そう楽し気に笑う声に蘭が思わずフフッと笑みを零す。

それから蘭は再び顔を上げて言った。

「黒羽君は、今日キッドとしてこの宝石を盗みに来たの?」
「いや。」
快斗は即座に頭を振ると、宝石の展示ケースを振り返った。

「蘭ちゃん、オレはある目的があってキッドとして宝石を盗み続けてた。でも、もうその目的を果たしたから、宝石は必要ないんだ。」
「そうなの?でも、次郎吉さんの挑戦状にキッドは即OKの返事を出したって。」
「ああ・・・。信じてもらえないかもしれないけど。それはオレじゃない。おそらく、キッドに対して悪意のある誰かが何らかの意図を仕掛ける為にやった事だ。」
快斗の言葉に蘭はハッと目を開いた。
それからほっと息を吐き瞼を伏せる。

「良かった。」
「オレがまた盗みをすると思った?」
「うん。」
応えた蘭に快斗は苦笑する。

「まあ、あの流れならそう思うよね。」
「うん、ゴメンね。黒羽君。」
「いいよ。蘭ちゃんが謝る事じゃない。」」
応えると快斗は蘭の目の前に立ち言った。

「蘭ちゃん。今のオレには、たった一つ、オレにとって最高の宝石がここにあるんだ。」
そう言って快斗が胸に掌をあてて瞼を伏せる。
「それ以外は、どんな高価な宝石も全部石ころ同然。オレにとってはまったく価値のない。そういうものだよ。」
そんな快斗を目を細めて見つめながら蘭が言った。

「それって、もしかして、青子ちゃんの事?」
「そう。」
応えた快斗は口許に柔らかい笑みを浮かべると、目許を細め蘭を見つめた。

「以前、この場所で蘭ちゃんにオレがした事。許してもらえるとは思ってない。でも、ゴメン・・・って。ちゃんとそう、伝えたかったんだ。」
「黒羽君・・・。」
「オレはあの頃そういう生き方しか出来なかったから。他人を騙して利用して。それを全部無かった事にして欲しいとはいわない。だけど。」
そう言って快斗は蘭に手を差し出す。

「今、ここにいる蘭ちゃんには笑顔でいて欲しい。」
「黒羽君・・・。」
「心からそう思ってる。」
呼びかけた蘭に快斗が微笑む。

「行こう、蘭ちゃん。今日だけ。今だけ、魔法の解けた蘭ちゃんの王子様がそこにいるから。離れてたらもったいないよ。」
その言葉に、蘭は目許に溢れそうになる涙を拭って頷くと快斗の手を取った。

「黒羽君、本当は私。今日、どんな顔をして黒羽君に会えばいいのかわからなかったの。」
歩きながら話す蘭に快斗は頷く。
「それは当然だよ。言ったでしょ?オレは蘭ちゃんにそれだけの事をしたんだって。だから、これからも。何か言いたいことがあったら遠慮なくなんでも言ってくれて構わない。オレにはそれを全部受け止める義務があるんだから。」
「黒羽君、でも・・・。」
言いかけた蘭を振り返り快斗は言った。

「それでも、ここにいたい。それはオレの我が儘だから。蘭ちゃんがそうやって自分を責める必要は微塵もないよ。」
その言葉に蘭は快斗の手を握ったまま頷く。

「ありがとう、黒羽君。」
「いや、オレの方こそ。」
そう言うと、快斗は扉を開いた。

外に出ると警官に「ご苦労様です」といって、快斗は手を離し、あくまでも飛行船の従業員として蘭の前を歩き始めた。
「オレにしっかりついてきてね、蘭ちゃん。」
耳許のイヤホンから入る通信を聞きながら快斗はわずかに険しい顔をすると後ろを振り返り告げる。

既に戦いは始まっていたのだった。