「違うよ、青子姉ちゃん。」
快斗が部屋を出て行った後、呆然としてその場で座り込んでしまった青子のそばにゆっくりと歩み寄りコナン君が言った。
「コナン君・・・。」
顔を上げて振り返った青子をコナン君が静かに見つめる。
「あいつが青子姉ちゃんに、そこにいるキッドが受けた傷痕を隠したのは・・・。」
コナン君はそう言い掛けてポケットからハンカチを取り出すと青子の目の前に差し出す。
「悲しませたくなかったからだよ、誰よりも・・・青子姉ちゃんを。」
そう言われて初めて、青子は目の端からポロポロと絶え間なく涙が零れ落ちている事に気づいた。
青子はコナン君からハンカチを受け取ると、それで目の端を拭いもう一度顔を上げる。
コナン君はそれをじっと何も言わずに見つめてから軽く息を吐いて再び口を開いた。
「さっき青子姉ちゃん言ってたでしょ?『だってあの時快斗だって』って・・・。それって、あの時の事を青子姉ちゃんも思い出してたからだよね。」
その問いに青子は唇を強く引いて頷く。
コナン君の言うとおりだった。
青子はあの傷痕を見て、快斗が攫われて二か月近く入院していた時の事をすぐに思い出した。
だけどそれは絶対に触れてはいけない快斗の心の傷だって思った。
だから絶対に言っちゃダメって。
そう思っていたのに。
快斗と口論になった青子は結果的に快斗を悪者みたいにして責めるやり方でその快斗の傷に触れてしまった。
そうしてまた青子は快斗を傷つけた。
何度も後悔してきたはずなのに。
一度口から外に出てしまった言葉はもう二度と、取り返しがつかない。
その事を改めて心の中で思い胸の奥が締めつけられるみたいに苦しくなるのを感じる。
そんな青子の隣に座りコナン君が言った。
「あの時の事はあいつにとっても絶対に忘れられない心の傷だと思うけど、それは青子姉ちゃんにとっても同じでしょ?だから・・・その傷痕に気づいたら青子姉ちゃんが泣いて悲しむと思って。それであいつ・・・言い出せなかったんだと思うよ。」
「コナン君・・・。」
呼び掛けた青子にコナン君が切なげに微笑を浮かべた。
「それにね、ここでこうして傷ついた状態でいるこいつを見て、それをやった奴らに最も怒りを感じているのは、間違いなくあいつなんじゃないかな。」
コナン君のその言葉に驚いて青子は大きく目を開いた。
「快斗が?」
「うん。」
問い返した青子にコナン君が応える。
「おそらく自分の事みたいに思いながら心が抉(えぐ)られる様な、そういう痛みを感じて。それをやった奴らを心から許せないって・・・そう思って。でも、それに対して何も出来ない自分自身にさえ怒りを感じてる。あいつはそういうヤツだから。」
コナン君はそう言うと目を細めて横たわる快斗を見つめる。
「もしそいつらがいるなら即行キッドの姿でここから飛び出していくんだろうけど、あいにく今この世界にそいつらはいない。だからその怒りも矛先を失っていて。加えていつもは自分一人に向けられている青子姉ちゃんの気持ちがこいつに大きく傾いてるから気が気じゃないし、焦りや焦燥感みたいなものも強く感じている。あいつ自身そういう自分を持て余していて、それでどうしたらいいかわからなくて。ものすごく戸惑って悩んでるんだと思うよ。」
コナン君のその言葉に青子もどう返したらいいかわからなくて、何も言えずに目の前の快斗を見つめた。
「ホント・・・器用なはずなのに、自分の事となると不器用だよね。」
「コナン君・・・。」
そう言って軽く息を吐くコナン君に青子が呼び掛けると、コナン君は少しだけ困ったような顔で苦笑して顔を上げた。
「天の邪鬼な上にさ、自分を弁護する・・・って事を一切しないんだ。ホントそういうところはキッドの時から変わらないけど。」
そう言いながらコナン君が青子の知らない二人だけの過去の時間に思いを馳せるみたいにして瞼を伏せて微笑する。
「売り言葉に買い言葉みたいな感じであんな心にもない事言ってたけど。きっと今頃溜息吐いてどっかで落ち込んでるよ。なんで青子姉ちゃんにあんな事言って泣かせたんだろうって。」
笑いながらそう話してくれるコナン君は本当に優しい顔をしていて。
青子はそんなコナン君を見つめて大きく目を開いた。
「本当?」
たずねた青子にコナン君は「もちろん。」と言って微笑しながら、先ほど快斗が出ていった扉に視線を向ける。
「当然ヤキモチ妬いてるのもあるけどさ・・・。でも、あいつはその為だけに嘘つく様なヤツじゃない。その事は青子姉ちゃんが一番わかってるでしょ?」
「うん。」
青子はその言葉に深く頷いて、もう一度手の中にあるコナン君のハンカチを強く握り締める。
「前に快斗青子に言ったんだよ。『オレは青子に一生分の嘘を吐いたから。だから、もう絶対に、青子に嘘はつかない。』って。」
青子がそう言うと、コナン君が微笑して頷く。
「誰よりもきっと、青子姉ちゃんにその言葉を信じてもらいたい・・・って。今もそう思ってるはずだよ。だから・・・。」
コナン君はそうそう言いながら青子の前に立つと、ポケットに手を入れてまっすぐ青子を見つめる。
「青子姉ちゃん、行ってあげて。あいつのところに。」
その言葉に大丈夫だよ・・・って。
ポンと背中を押された気がした。
青子は深く頷いてコナン君に応えると、それからベッドで眠る快斗に視線を移す。
「快斗は・・・。」
「大丈夫。僕がついてるから。」
青子が言いたい事を瞬時に察してくれたコナン君はベッドの中で眠っている快斗に視線を向ける。
それから再び顔を上げると青子を振り返り言った。
「目を覚ましたら連絡するよ。だから大丈夫、安心して。」
そう言われて青子は頷くと、部屋の出口へと向かい歩き始めた。
「コナン君。」
扉の前まで来て立ち止まり呼び掛けた青子をコナン君が振り返った。
「いつも・・・ありがと、コナン君。」
青子がそう言うと、コナン君が本当に何でもない事の様に頭を振って笑みを返してくれる。
その姿は小さいけど。
でも青子にはとても頼もしく思えたんだ。
そして、青子も快斗も。
いつもこういうコナン君の笑顔に支えられているんだって、心からそう思った。
その事に心から感謝して。
改めて胸に刻み込む想いで青子は目を細める。
「それじゃ、行ってくるね。」
青子がそう言うと「行ってらっしゃい。」と。
コナン君が手を振ってくれた。
そんなコナン君に笑みを返すと、青子はドアを開けてそのまま階段を早足で駆け下りる。
「快斗に謝らなきゃ!!」
そう呟いた自分が、快斗の秘密を知る事になったあの日の自分と重なった。
その瞬間、青子の中で失いかけていたモノに出会えた気がした。
言葉に出来ない。
だけど、とてもとても大切な想い。
青子と快斗にとってきっと、とても大切なモノ。
だから、それを快斗にも届ける為に。
(待ってて・・・、快斗。)
心の中でそう呼び掛けた青子は玄関の扉を大きく開いた。
そうして外に出ると午後になり和らぎ始めた日差しの中を青子は走り始める。
快斗がきっと待つはずの。
快斗と青子の。
奇跡の始まりの場所に向かって。