夕食の後、コナンは蘭が花瓶に花を生けている姿を見て歩み寄る。
「蘭姉ちゃん、どうしたの?その花束。」
蘭が手を止めずにコナンに笑い掛ける。
「お母さんにもらったの。お母さんがお客さんからもらったらしいんだけど、お母さんお花の世話とかするの苦手だからって。」
(だろうな・・・。)
蘭の言葉にコナンは苦笑する。
眉目秀麗、頭脳明晰で弁護士事務所を経営している蘭の母親は法廷での無敗記録を更新中の「法曹界の女王」と呼ばれる程の敏腕弁護士なのだが、家庭的な事はとても苦手な人柄だった。
コナンは蘭が生けている花瓶の花を見上げて、中でも一際存在感を放つその花を見つめる。
「コナン君。ユリの花の花言葉って知ってる?」
コナンは今ちょうど注目していたその花を見ながら微笑む。
「知ってるよ。ユリの花言葉は『純粋』『無垢』。その中でも、白いユリの花言葉は『純潔』『威厳』なんだ。」
「コナン君はホントに良く知ってるね。」
蘭がコナンの答えに感嘆の声を上げる。
確かに、色別に花言葉を記憶している小学一年生はそうそういないのかもしれない。
コナンは苦笑いしながら蘭を見上げた。
「新一兄ちゃんに教えてもらったんだよ。新一兄ちゃんそういうのも詳しいから。」
顔を見合わせるとその言葉に蘭が苦笑する。
「ホント、そういう雑学だけは豊富なのよね。」
「そうだね・・・。ハハハ・・・。」
(だけ・・・は余計だって。)
コナンは乾いた笑い声を上げると蘭に気づかれない様にため息をついた。
花を生け終えた蘭が、片づけをしてその場から離れていくと、コナンは改めてそのユリの花に視線を向ける。
「白いユリの花言葉は『純潔』『威厳』」
自分の言葉を改めて思い返してフッと笑みを浮かべる。
「まるでアイツの事じゃねーか。」
そう言うと、コナンはテレビ画面の中、ビルの屋上で警察に囲まれている白き罪人の姿を見つめる。
今日は怪盗キッドの予告日。
その映像はテレビ局のヘリコプターから空撮の生中継映像。
遠くからの映像で表情まで読み取る事は出来ないが、いつも通り怪盗キッドは落ち着いた様子で周りを取り囲む警察と対峙している。
そして数秒後、煙幕がその姿を掻き消したかと思うと、その煙が晴れる頃には闇に溶け込む様に姿を消していた。
コナンはその映像を見ながら、先日の事件を思い返す。
その時にほんの一瞬垣間見えた、怪盗キッドの素顔をコナンはいつまでも忘れられずにいた。
「似た者同士・・・か。」
平次が語った言葉を思い出して小声で呟く。
怪盗キッドの正体を幼馴染の青子に隠していた黒羽快斗と、本当は工藤新一である事を蘭に隠し続けているコナン。
そして、敵対する謎の組織。
怪盗キッドである黒羽快斗は敵対する組織に正体を暴かれて、それでも一人で戦いを挑んでいこうとしている。
それはとても無謀な戦いの様にコナンには思える。
それでも、大切な存在を守る為に他に道が無いのだとしたら、間違い無く自分も同じ道を選ぶのだろうと思うから。
「絶対に負けるなよ。」
コナンは既にキッドが消えたテレビのモニタを見つめて、今は淡い月明かりの下飛んでいるはずの快斗を思いながら呟いた。
「コナン君、9時だよ!歯磨きして寝る時間だからね。」
「はーい!!」
(んな事言われなくてもわかってるって・・・。)
コナンは大きなため息をつくと、テレビを消してその場を離れる。
その場に残されたユリの花が、薫り高く圧倒的な存在感で咲き誇っていた。
[newpage]
先ほど警察と対峙していたビルから飛び立った怪盗キッドは、予定していたポイントに着地するとその場でポケットから盗んだ宝石を取り出して月へと翳す。
そして、何も変化が無い事を確認すると小さくため息をついた。
何も言わずに歩き出すと給水塔の陰に隠れて、まわりに誰もいない事を確認してから一気に純白の衣装を引いた。
一瞬で本来の姿である黒羽快斗へと早変わりする。
快斗はそのまま屋上の扉を開いて、ビルの非常階段を通り抜けて外へと出ると自宅までの道を歩き始める。
先日、怪盗キッドの正体が敵対する謎の組織に明らかになり、青子がさらわれる事件が起きた。
その時にライフルで狙撃されて動けずにいた快斗はライバルである江戸川コナンに助けられて、満身創痍の体で青子の救出へと向かい、コナンと平次のお陰で無事に青子を助け出す事が出来た。
怪盗キッドの正体が快斗である事を知った青子は、それでもそのままの快斗を受け入れてくれた。
組織に正体を知られている。
それは、いつどんな状況で組織に襲われて命を狙われるかわからないという事。
今、この時も快斗が気づいていないだけで、組織に監視されているのかもしれない。
その苦しみを青子にも負わせる事になる。
しかも、パンドラが見つからない今の状況では、快斗は何があっても怪盗キッドを止める事は出来ない。
パンドラの為に父は殺されて、パンドラの為なら組織はどんな非道な行為も辞さない。
パンドラがある限り数限りないほどの悲劇が続いていく事になる。
その悲劇の連鎖を止める為には、パンドラを組織より先に見つけて組織の理想と共に粉々に打ち砕く。
それ以外に方法は無かった。
自宅の前まで来ると、快斗はそのまま自宅には向かわずに隣の中森家の扉を開く。
扉を開いた瞬間、目の前で青子が立ち上がって快斗を見つめる。
「ずっとそこにいたのかよ・・・。」
「うん。」
青子は目に涙を浮かべたまま目の前の快斗に手を伸ばした。
「おかえり、快斗。」
「ただいま。」
快斗が無事に帰ってきた事に安堵すると、青子は快斗の胸に頬を寄せる。
快斗が今どれほど危険な状況にいるのか。
青子も快斗に聞かされて理解している。
敵対する組織がいつ快斗の命を奪う為に襲ってくるのかわからない。
それでも、怪盗キッドを止めるわけにはいかないと切実な想いで語っていた快斗。
青子に出来る事は、快斗が無事に帰って来てくれる事を祈りながら待ち続けるしかなかった。
「ゴメンな。」
快斗は青子の細い背中を抱きしめて呟く。
青子の最愛の父である中森警部は警視庁捜査二課のキッド専任の刑事。
快斗が怪盗キッドとして盗みに行く事で、刑事である最愛の父と怪盗である快斗の間で青子が板挟みになっている。
中森警部も怪盗キッドの正体を知りながら『必ず現行犯で逮捕する』と宣言して、快斗にはいつも優しい言葉を掛けてくれている。
大切な存在である青子と警部にとても苦しい想いを強いている。
それでも、今の自分はひたすら前に進む事しか出来ない。
「ホントにゴメン・・・。」
快斗が青子を抱きしめる腕に力を込めると、青子が腕の中で首を横に振る。
真夜中の静寂がどうしても本音を引き出してしまう。
朝になり、太陽が昇ればきっとこの苦しい想いも太陽の強い光に掻き消されてしまうはずだから。
早く朝になれば良い。
快斗は心からそう思った。
[newpage]
広大なフロアに唯一置かれた重厚感のある机。
そこに座る男が、目の前に立つ男・・・この組織の中でスネイクと呼ばれる男に視線を向ける。
「スネイク、人間にとって一番辛い事は何だと思う?」
スネイクは首を傾げながら答える。
そんな事は当たり前の事で聞くまでも無い様に思えたから。
「死ぬ事・・・ではないでしょうか?」
「お前にとってはそうだろうな。」
男は目の前に置かれた写真を見つめる。
そこにはペーパーナイフが突き立てたままとなっていて、外す気も無い様だ。
「信念を持って行動している人間にとって命を無くすよりも辛い事・・・。」
男は立ち上がってスネイクに背中を向けると、一面ガラス張りの窓から見える夜景を見つめて微笑む。
「精神の死・・・だよ。」
男は呟きながらあの忌々しい白き姿を思い浮かべる。
口元には冷酷な笑みが浮かぶ。
その背中を見つめたままスネイクは、一刻も早くこの場を立ち去りたいと願わずにはいられなかった。
[newpage]
翌朝、快斗は青子と一緒に朝食を食べる為に中森家の扉を開く。
いつもより早い時間だった為、まだ青子は降りて来ていなかった。
一人キッチンへ向かい、コーヒーを落とし始める。
毎日の様にこの場所に来ては青子の手伝いをしているので、どこに何が置いてあるのかは熟知していた。
コーヒーを落としている間にリモコンでテレビの電源ボタンを押すと、朝のニュースで昨日の現場の空撮映像が映し出される。
警察に囲まれている怪盗キッドの姿。
それは紛れも無く、昨日の快斗自身の姿だった。
そしてまわりを取り囲む警官隊の中央にいるのは、この家の主である中森警部。
昨晩はやはり徹夜だった様で、まだ帰宅していなかった。
快斗は落とし終えたコーヒーを注ぐ為キッチンに戻ると、青子が階段を降りてくる足音に気づいて顔を上げる。
「おはよう、快斗。」
青子は入口で立ち止まると、目を細めてキッチンに立つ快斗を見つめる。
「おはよう、青子。」
快斗は青子の顔をみて、ホッとした様に笑みを浮かべる。
青子は快斗に歩み寄ると、心配そうに快斗の顔を見上げた。
「眠れなかったの?」
その言葉に快斗は苦笑する。
やはり、青子に隠し事は出来ないらしい・・・と観念した様に青子を見つめる。
時計の針は、まだ6時前。
快斗がいつも朝食を食べに来るのは7時過ぎだ。
しかも、いつもは部屋着で来て、朝食後に着替えに戻るのだが、今日は既に着替えを終えていて、準備万端整えている状態。
おそらく眠れずに暗いうちから仕度を始めて、仕度を終えたところでこちらに来たのだと容易に想像する事が出来た。
「大丈夫だよ、ちょっと考え事してただけだから。」
快斗は青子に笑い掛けると、手元のコーヒーに視線を戻してカップに注ぎ始める。
「青子も飲むだろ。」
この話はお終い・・・とでも言う様に、快斗は視線を逸らすと青子のカップを棚から取り出してコーヒーを注いでいく。
青子は頷いて、快斗に心配そうな視線を向けながらも、朝食の準備に取り掛かる。
時計が6時をまわり、つけたままのテレビが6時のトップニュースで再び昨日の怪盗キッドの映像を流し始める。
青子はその音声を聞きながら、表情を変えずに使い終わったコーヒーメーカーの片づけを始めている快斗を見つめる。
快斗の心の中はポーカーフェイスで覆い隠されていて、青子には少しも覗かせてくれない。
青子はその事をとても切なく感じる。
快斗の秘密を知る事が出来ても。
これほど近くにいたとしても。
やはり快斗の心は独りでいるのだと感じてしまう。
それでも、快斗が唯一青子にだけは、とても小さな心の扉を開いている事を知っている。
青子に出来る事は、そのままの快斗を。
ありのままの快斗を受け入れる事。
それだけだった。
[newpage]
青子が朝食の支度を終える頃、玄関の扉が開いて仕事を終えた中森警部が帰宅する。
「お父さん、おかえりなさい。」
青子が玄関で出迎えると、警部が笑顔で答える。
「ただいま、青子。」
警部は靴を脱いで中に入ると、キッチンに立つ快斗に視線を向ける。
「おはよう、快斗君。」
「おはようございます、警部。コーヒー飲みますよね。」
快斗がたずねると警部は笑顔で頷く。
「ありがとう、いただくよ。」
警部は青子に「着替えてくるよ。」と声を掛けて、自室へと向かった。
青子はテレビの電源を切ると、父の為にコーヒーを落とし始めた快斗の隣に立つ。
「これくらいしか出来ねーからな。」
静かに呟く快斗の言葉に頷くと、青子は何も言わずに快斗の手を握り締める。
快斗は前を向いたまま、青子の掌を握り返す。
柔らかくて暖かい青子の掌の感触に、存在を許された気がして、快斗は息を吐くと青子に視線を向けた。
「サンキュー、青子。」
快斗は微かに笑みを浮かべて青子に伝えると、落とし終えたコーヒーを警部のカップに注いでいく。
青子もその横顔を見つめて微笑むと、父の朝食の準備に取り掛かる。
少しずつでも構わないから、想いが快斗に伝わっていく様に・・・。
そしていつか、心からの快斗の笑顔に出会える日がくる様に・・・。
青子はその事を願わずにはいられなかった。
[newpage]
朝食を終えた快斗は、荷物を取りに行く為に自宅に戻ると、自室で父のパネルの前に立つ。
8年前にマジックショーの事故で亡くなった父。
ずっと父が死んだ原因は脱出マジックに失敗した事だと思っていた。
だが忘れもしない。
あの青子の誕生日当日、ブルーバースデーの予告日。
快斗は組織と始めて遭遇して、その時にスネイクという組織の幹部から父が殺された事を告げられる。
快斗は父の死の真実を知る為。
そして、パンドラを組織よりも先に見つけて破壊する為に怪盗キッドとして盗みを続けてきた。
それが許されない犯罪行為である事はわかっている。
何があっても言い逃れ出来る事では無い。
それでも、快斗には前に進み続ける以外の道は残されていなかった。
そして今、自分の罪に青子と警部を巻き込んでいる。
青子の正義感も警部の刑事としての使命感も痛いほど良く分かっている。
それでも、快斗を想う青子と警部はありのままの快斗を受け入れてくれている。
快斗はその事をとてもありがたく感じると同時に、大きな罪悪感を感じる。
「親父・・・、良いのかな・・・。」
快斗は父のパネルに手を触れて話しかける。
もちろん答えは返ってこない。
その答えは自分で見つけるしかないのだから。
快斗は小さく息を吐いて、パネルから手を離す。
コートを着るとその中にマジックの小道具を忍ばせていく。
いつどこで組織に襲われるかわからない。
油断したまま無防備な状態で外に出る事は出来なかった。
快斗は先日の事件の時にコナンから渡された探偵バッジを手に取ると、掌にのせて見つめる。
一度はコナンに返した探偵バッジだが、すぐにコナンに投げ返されてしまった。
『持ってろよ。』
快斗はその時のコナンの言葉を思い返す。
『怪盗キッドには協力出来ねーけど、黒羽快斗なら話くらいは聞いてやるから。』
思い出して少しだけ苦笑する。
「お人好しだよな。」
呟くとコナンの顔を思い浮かべる。
いつもは監獄に送り込むとか物騒な言葉を連発してくるくせに、何も本心を明かさない怪盗の相談にのってやるというのだから。
快斗は思い出しながら笑みを浮かべる。
それでも、その言葉はとても名探偵らしい言葉だと思う。
誰よりも人の命を、他人の想いを大切にする人間である事は良く分かっている。
「サンキュー、名探偵。」
快斗は探偵バッジを握り締めると、そのままポケットの中に入れた。
仕度を終えた快斗が階段を降りて玄関の扉を開くと、いつも通り青子が玄関の前で快斗が出てくるのを待っていた。
「やっぱり似合うな。」
快斗は鍵を閉めながら、青子に声を掛ける。
今朝の青子は、先日快斗と買い物に行って買ったばかりの白いコートと淡いピンクのマフラーでとても可愛らしい雰囲気だった。
快斗の言葉に青子は笑みを浮かべる。
「快斗が選んでくれたんだよ。」
雪の様に真っ白なコートは、澄んだ青子のイメージにとても良く似合うと思い快斗が選んだものだ。
「白は汚さない様にするの大変なんだからね。」
青子の言葉に快斗が苦笑する。
「青子は不器用なお子様だからな。」
快斗は青子の顔を見て笑うと、そのまま青子の前を歩き出した。
後ろから青子が早足で快斗の背中を追い掛ける。
快斗は後ろから追いかけてくる青子の足音を聞きながら微笑む。
いつまでもこの穏やかな時間が続いて欲しい。
それはとてもささやかな願い。
だけど、そのささやかな願いさえも打ち砕かれてしまう瞬間は、すぐ目の前に迫っていた。
[newpage]
快斗と青子が学校に近づいたところで、快斗は学校の校門の前に横づけされている黒い高級車に気づいて表情を険しくする。
校内に入っていく生徒達も何事かと思いながら、学校には不似合いなその車の横を通り過ぎていった。
青子も先日の事件が頭の中で蘇り、快斗の手を掴むと強く握り締めてその場で立ち止まった。
「快斗・・・あの車・・・。」
その車は確かにあの日青子が、後ろから背中を押されて乗せられた車だ。
快斗はポケットから探偵バッジを取り出すと、青子の掌に置いた。
「青子、これを名探偵に届けてくれ。場所は・・・わかるよな?」
青子は快斗を見つめて深く頷く。
その表情から快斗の強い覚悟を読み取ると、青子の瞳から涙が溢れてくる。
「快斗・・・。」
「必ず戻るから。青子のところに・・・。」
快斗はそう言って微笑むと、繋いでいた手を離して一人歩いていく。
快斗が近づいて来た事に気づくと、車の後部座席から先日の事件の時に快斗が変装した幹部の男・・・スネイクが扉を開けて降りてくる。
「何やってるんだよ、こんなとこで。」
快斗の言葉にスネイクは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お前のリクエスト通りに正々堂々お前を迎えに来てやったのさ。」
快斗は鋭い視線で周りを見渡す。
離れたところに不審な黒塗りの車が何台も止まっている。
快斗がもし抵抗すれば、この学校内の人間を全て人質にするつもりで仕掛けてきてる事は明らかだった。
「正々堂々が聞いて呆れるぜ。」
快斗は改めて正体を知られている事のリスクを思い知らされる。
快斗の日常生活に関わるもの全てが、敵にとって都合の良い取引の材料となる。
それがどんな些細な事であったとしても。
既に、快斗とスネイクの周りに人だかりが出来始めていた。
快斗はその姿のままでも学校の中では十分目立つ存在だった。
その快斗が見知らぬ男・・・しかも目つきの悪い怪しげな男と対等に対峙しているとなれば、何事かと思い皆が足を止めていくのは当然の事だった。
「どうする?これ以上ここにいれば、お前はこの場所に戻って来られなくなるんじゃないのか?」
快斗はその言葉に苦笑する。
「良く言うぜ。はなから生きて返す気もねーくせに。」
快斗は、少し離れた場所で見つめる青子に視線を向ける。
「オレは必ずここに戻って来るけどな。」
快斗は青子を見つめたまま笑みを浮かべる。
「戻れると思っているのか?」
「当然だろ?」
スネイクはその言葉を鼻で笑うと、後部座席の扉を開いた。
快斗が何も言わずに車へ乗り込む。
スネイクは扉を閉めると、青子の存在に気づいて鋭い視線を向ける。
「刑事の父親には何も言うんじゃないぞ。警察が少しでも妙な動きをしたら、この男の命は無いからな。」
スネイクは青子に強い口調で告げると、反対側の扉を開いて快斗の隣に乗り込む。
その直後、車が走り出すと離れた場所に止まっていた黒塗りの車も一斉に走り出した。
しばらくすると立ち止まっていた生徒達が、再び動き出して校門の中へと何事も無かったかの様に入っていく。
「黒羽はどうしたんだよ?」
その様子を見ていたクラスメイト達が残された青子に話し掛けてくるが青子はそれには答えずに、快斗が今までいた場所を見つめる。
「快斗・・・。」
青子の瞳から涙が止めど無く溢れだしてくる。
青子は強く手を握り、その手の中に残された探偵バッジの存在を思い出す。
『これを名探偵に届けてくれ。』
快斗の言葉を思い出すと青子は探偵バッジを強く握り締めて、学校には入らずにそのまま駅へと向かって歩き出した。
快斗がいう名探偵・・・それは先日の事件の時に快斗と青子を助けに来た少年、江戸川コナン。
快斗はなぜか彼の事を名探偵と呼ぶ。
青子にはその理由はわからないけど、先日の二人の会話から、快斗があの少年を深く信頼している事は青子にも良くわかっていた。
『必ず戻るから。青子のところに・・・。』
青子は快斗の言葉を思い出す。
「約束だよ・・・、快斗。」
青子の涙は後から後から溢れだして止まらない。
青子はあの男の言葉を思い出す。
警察が少しでも動いたら、快斗の命は無い。
今、青子が頼れる存在はこの世界で快斗が恐らく誰よりも信頼するあの少年。
江戸川コナン、ただ一人。
「快斗を助けて・・・。」
青子は泣きながら呟く。
それでも、足を止める事はしない。
一刻でも早く、彼にこれを届けなければいけないから。
「快斗・・・。」
先ほどまでどんよりとしていた空は雲が厚みを増して、空から水滴が落ち始める。
晩秋の冷たい雨が、涙で濡れる青子の頬をさらに冷たく冷やしていく。
それでも構わず青子は歩き続ける。
わずかな一条の光を目指して・・・。
[newpage]
車に乗り込んだ直後、快斗はスネイクが青子に何かを告げている事に気づいた。
車に乗り込んできたスネイクに快斗は鋭い視線を向ける。
「青子に何を言った?」
その言葉にスネイクが笑みを浮かべる。
「刑事の父親には何も言うなと伝えただけだ。警察が妙な動きをすればお前の命は無いからと親切に忠告してやったのさ。」
快斗は手を握り締めて鋭い視線でスネイクを睨んだ。
「青子は関係ねーだろ。」
「関係無いものなどあるものか?お前に関わりがあるもの全てが我々にとって取引の材料となる。それ位わかっているだろう?」
スネイクは絶対的有利な立場に立つ者の笑みを浮かべると見下ろす様な視線で快斗を見つめた。
「先日の事件では私になりすましていたらしいな。」
「やっと気づいたのか?」
「屋上の粘着剤も一滴も残されていなかった。」
「当然。あの短時間でそんな重たいもの運べるわけねーだろ?」
「その姿でも、減らず口だけは変わらん様だな。」
快斗はその言葉に笑みを浮かべる。
敵が怪盗キッドとして快斗を連れ去った以上、今この場にいるのはあの純白の衣装が無くても怪盗キッドだった。
怪盗キッドとして何があっても負けられない想いが快斗にはある。
快斗は自室のパネルに残されている怪盗キッドの衣装を纏う父の姿を思い浮かべる。
『いつ何時たりともポーカーフェイスを忘れるな。』
快斗は父の言葉を思い出して深く頷くと、窓の外を見つめる。
(青子・・・。)
必ず青子の元へ戻ると約束した。
今この状況で、その約束がどれほど困難なものであるのか、快斗にも良く分かっている。
それでも、絶対に諦めない。
諦めたら未来はそこで終わってしまう。
快斗は青子に預けてきた探偵バッジの存在を思い返す。
警察に連絡すれば快斗の命は無いと告げられた青子は、警部に連絡する事も出来ない。
唯一頼みの綱は、名探偵ただ一人。
快斗が青子に預けた探偵バッジの意味を、必ず受け取ってくれるはずだから。
(任せたぜ、名探偵。)
快斗は怪盗キッドの最大のライバルであるコナンの姿を思い浮かべて口元に微かに笑みを浮かべた。
[newpage]
車は都心のオフィスビル街の中に入っていくと、その中でも一際年代を感じるビルの駐車場に入っていった。
駐車場で車が止まると、先日と同じ様に黒服の男達に囲まれて快斗は引きずり降ろされる。
「身体チェックをしろ。どこに何を隠しているかわからんぞ。この男はあの怪盗キッドだからな。」
快斗は予想通りの展開に心の中でため息をつきながらも、ポーカーフェイスを崩さずに微笑む。
男達が快斗の衣服に隠されていたマジックの小道具を次々と目の前に積み上げていく。
そこには愛用のトランプ銃やワイヤー銃も隠されていた。
スネイクが呆れた様な視線でそれらを見下ろす。
「こんなおもちゃで我々とやりあおうとしていたのか?」
その言葉に快斗は不敵な笑みを返す。
「こんなおもちゃにいつもお前らはやられてるんだろ?」
スネイクは快斗の目の前に立つと冷たい視線で快斗を見つめる。
「減らず口もほどほどにしとかんと、今すぐ命を落とす事になるぞ。」
快斗は何も言わずにスネイクを見つめ返して笑みを浮かべる。
スネイクは快斗から視線を逸らすと、部下に命じる。
「厳重にこの男を縛りあげろ。この男が怪盗キッドである事を絶対に忘れるなよ。」
その瞬間、何人もの男達が快斗の体を拘束すると、先日の事件とは比べ物にならない程の厳重さで快斗の体が何重にも縛られていく。
目隠しもされ、猿轡もされると、快斗は全く手足を動かせない状態となり荷物同然の状態で運ばれていく。
スネイクの指示で、男達は快斗を抱えたままエレベーターで降りていくと、地下にある独房に快斗を放り込んで厳重に鍵を掛けた。
もちろん見張りを残す事も忘れない。
先日と同じ失態を繰り返すわけにはいかなかった。
「そこでしばらく大人しくしている事だ。後で迎えに来てやるからな。」
スネイクは快斗に一方的に告げると、部下を残して上へと上がっていった。
快斗は身動きが取れない状態で、コンクリートの冷たい感触を直に感じながら息を吐く。
先日の事件で、長い時間青子が同じ様に床の上に放り出されたままでいた事を思い出す。
「青子・・・。」
青子の元に戻ると約束した。
青子を守ると約束した。
だから何があっても諦めるわけにはいかない。
絶対に・・・。
快斗は目を閉じて青子を想い続ける。
それだけが快斗の最後の勇気を奮い立たせる唯一の希望となっていくから。
[newpage]
コナンは2時間目が終わった頃、マナーモードにしてあった携帯電話が突然動き出した事に気づいて教室の陰に隠れて応答ボタンを押した。
「博士、どうしたんだよ。今まだ授業中・・・。」
言い掛けたコナンが博士の言葉に表情を険しくする。
「わかった。今すぐ行くから。」
コナンは博士に告げて電話を切ると、哀の元へと歩み寄る。
「灰原、悪い。緊急事態だから早退する。後は頼んだ。」
いつも通り、前置き無く告げていくコナンに哀は座ったままその顔を見上げた。
「それは良いけど、どうしたのよ?」
コナンは周りの子ども達に聞かれない様に小声で哀の耳元で囁く。
「キッドがさらわれた。今、彼女が博士の家に来てる。すぐに行かねーと、アイツの命があぶねーんだ。」
哀は深く頷くと、コナンを見つめる。
「わかったわ。あなたも気をつけなさいよ。」
「わあーってるよ。」
コナンは笑顔で答えると、すぐに荷物をまとめて教室から誰にも気づかれない様に抜け出して走り出す。
学校の外に出ると、雨が降り始めていた。
「こんな時に雨かよ・・・。」
コナンは顔をしかめると、傘もささずに走り出す。
先日の事件で黒服の男達に囲まれていた快斗の姿を思い出す。
冷酷な表情で怪盗キッドを取り囲んで、その場で無き者にしようとしていた男達。
あれは本物のマフィアの類だ。
その集団にさらわれたという事は、一刻も早く助け出さないと命に関わるという事。
全く手掛かりが無いし、博士から連絡を受けた内容では、警察へ連絡したらキッドの命は無いと宣告されたらしい。
絶望的な状況ではあるが諦めるわけにはいかない。
「絶対に助けるから、待ってろよ!」
コナンはどこにいるかもわからない快斗に向かって呟く。
コナンにコンタクトを取る様に青子に伝えたという事は、快斗も諦めていないという事。
だからこそ、必ずその想いに応えなくてはいけない。
怪盗キッドの最大のライバルとして。
コナンは雨が勢いを増す中、博士の家までの道を全速力で走っていく。
青子が待つ米花町はもうすぐだった。