梅雨のため、お天気がすっきりしない日は洗濯物がなかなか乾きませんね…
晴れている日はいいのですが…お天気が悪い時は部屋干しで大変です。
この梅雨が長く続くわけではないので、あと少しの辛抱てす
前回の続きとなりますが、りーぼーのうちはあまり良いことなく…バタバタ
5月中旬くらいから母方の祖母の具合があまりよくなくて、病院に入院していました。
母は祖母の看病で大分県の田舎に5月後半から帰省してました。
こちらでは父の入退院や仕事のことなどいろいろあるため、祖母の容態が少し落ち着いている時に母が関西に帰ってきました。
母は仕事を長期的に休んでいたので、久々に復活して、いつもの生活にもどりつつあった頃のある日の早朝、1本の電話がかかってきました。
内容は祖母の様子がいつもと違っていて、本当にヤバイということでした。
土曜日だったので、母は早速、兄弟に電話をして、田舎へ行く準備をして家を出ました。
その1時間後にまた、うちに電話があり、母からの電話で
泣き声でした。
一瞬でわかりました。
祖母が亡くなったという電話です
電話を切った途端に即行動で、子ども達を起こし、荷造りしました。
そんな
こんなで新幹線に乗れたのはお昼
田舎で車がなければ、動きようがないので、あえて田舎の地元の駅まで行くのではなく、大分駅で降りてレンタカーを借りました。
りーぼーが運転して、九州の高速を走っている時、複雑でした
悲しい気持ちや現実を受け入れられない感じで頭も混乱してました

(ほんまに大丈夫かいな!?
)
と自分でも思いましたが、なんとか祖母の家に到着
おうちに入ると、祖母の親戚の方々がズラリと座っていて…奥に祖母がいました。
変わり果てた祖母の姿を見た途端に涙が出てしまいました。
眠っているような顔をしているので、目が覚めないのが夢のようです。
亡くなった1日後にお通夜、その次の日に葬式があり、お別れをしました。
孫全員で祖母のお別れをしたかったのですが、私の妹は体調を崩し、祖母が亡くなった2日後に入院するという事があり、田舎に来ることができませんでした。
妹はすごく悔しかったと思います。
亡くなった祖母は父方、母方の両家の祖父母では、生きている最後の人でした。
母方では私が初孫で、小さい頃からこの祖母に可愛がってもらいました
父方の実家も母方の実家と同じ村にあるのですが、田舎に行くと決まって、母方の実家に泊まっていました。
やがて祖母にも内孫が生まれ、そこに行くと、従姉妹がいたので引き連れて従姉妹ともよく遊びました。
従姉妹が生まれてからというものの、ほとんど毎年、田舎に行ってた気がします。
田舎は山と海に囲まれている場所なので、思い出すのがまず、夏の盆踊り。
祖母や従姉妹と行っては踊りました。
食べ物は刺身が本当においしく、ご飯をおかわりしては、祖母に驚かれてました。
20年近くの闘病生活を送っていた祖母てすが、医師の宣告より長く生きることができました。
(何度か奇跡的なことがあったので今回も願ってましたが…願いは届きませんでした。)
私の子ども達の心配までしていた優しい祖母で、子ども達にとっても、大好きなひいおばあちゃんだった様です。
今回、子ども達とちゃんとお別れできてよかったと思います。
祖母とお別れの時にかけた言葉は、
「闘病生活で苦しかった分、これから安らかに空の向こうで過ごして下さい。」
ということでした。
祖父母がいたからこそ、母が生まれ…私が生まれ…私の子ども達が生まれて…というキセキに改めて感謝しつつ、祖母にありがとうを言いたいと思います。

晴れている日はいいのですが…お天気が悪い時は部屋干しで大変です。
この梅雨が長く続くわけではないので、あと少しの辛抱てす

前回の続きとなりますが、りーぼーのうちはあまり良いことなく…バタバタ

5月中旬くらいから母方の祖母の具合があまりよくなくて、病院に入院していました。
母は祖母の看病で大分県の田舎に5月後半から帰省してました。
こちらでは父の入退院や仕事のことなどいろいろあるため、祖母の容態が少し落ち着いている時に母が関西に帰ってきました。
母は仕事を長期的に休んでいたので、久々に復活して、いつもの生活にもどりつつあった頃のある日の早朝、1本の電話がかかってきました。
内容は祖母の様子がいつもと違っていて、本当にヤバイということでした。
土曜日だったので、母は早速、兄弟に電話をして、田舎へ行く準備をして家を出ました。
その1時間後にまた、うちに電話があり、母からの電話で
泣き声でした。一瞬でわかりました。
祖母が亡くなったという電話です

電話を切った途端に即行動で、子ども達を起こし、荷造りしました。
そんな
こんなで新幹線に乗れたのはお昼
田舎で車がなければ、動きようがないので、あえて田舎の地元の駅まで行くのではなく、大分駅で降りてレンタカーを借りました。

りーぼーが運転して、九州の高速を走っている時、複雑でした

悲しい気持ちや現実を受け入れられない感じで頭も混乱してました


(ほんまに大丈夫かいな!?
)と自分でも思いましたが、なんとか祖母の家に到着

おうちに入ると、祖母の親戚の方々がズラリと座っていて…奥に祖母がいました。
変わり果てた祖母の姿を見た途端に涙が出てしまいました。
眠っているような顔をしているので、目が覚めないのが夢のようです。
亡くなった1日後にお通夜、その次の日に葬式があり、お別れをしました。
孫全員で祖母のお別れをしたかったのですが、私の妹は体調を崩し、祖母が亡くなった2日後に入院するという事があり、田舎に来ることができませんでした。
妹はすごく悔しかったと思います。
亡くなった祖母は父方、母方の両家の祖父母では、生きている最後の人でした。
母方では私が初孫で、小さい頃からこの祖母に可愛がってもらいました

父方の実家も母方の実家と同じ村にあるのですが、田舎に行くと決まって、母方の実家に泊まっていました。
やがて祖母にも内孫が生まれ、そこに行くと、従姉妹がいたので引き連れて従姉妹ともよく遊びました。
従姉妹が生まれてからというものの、ほとんど毎年、田舎に行ってた気がします。

田舎は山と海に囲まれている場所なので、思い出すのがまず、夏の盆踊り。
祖母や従姉妹と行っては踊りました。
食べ物は刺身が本当においしく、ご飯をおかわりしては、祖母に驚かれてました。
20年近くの闘病生活を送っていた祖母てすが、医師の宣告より長く生きることができました。
(何度か奇跡的なことがあったので今回も願ってましたが…願いは届きませんでした。)
私の子ども達の心配までしていた優しい祖母で、子ども達にとっても、大好きなひいおばあちゃんだった様です。
今回、子ども達とちゃんとお別れできてよかったと思います。
祖母とお別れの時にかけた言葉は、
「闘病生活で苦しかった分、これから安らかに空の向こうで過ごして下さい。」
ということでした。
祖父母がいたからこそ、母が生まれ…私が生まれ…私の子ども達が生まれて…というキセキに改めて感謝しつつ、祖母にありがとうを言いたいと思います。
