今日の朝日新聞の記事を読んで衝撃を受けた。
その衝撃とは、
足利事件が冤罪だったことではない。
また、DNA型鑑定の結果が一致しなかったことでもない。
冤罪というのは本当に恐ろしい。
当事者の気持ちを考えるとやりきれない。
だけど、いくら最大限の努力をしても、所詮人が裁くもの。
冤罪をなくすことはできないだろう。
冤罪事件は起こりうるものだと考えているから、そこではない。
科学捜査。
その重要性は疑いようがない。
DNA型判定はその中でも最も強力なものなのだろう。想像だけど。
今日の菅家さんの釈放の前に、
「足利事件のDNA型鑑定の再検査の結果、型が一致しない→釈放へ」
というニュースがあった。
このときも、それほどの衝撃を受けたわけではない。
当時の技術があり、その限界を理解した上で、証拠になりうるという判断がなされたのであれば、
それを根拠に判決が出たことには納得できる。
そして今回、技術が進み、再検討の結果、違う結果が出たことも、
「科学」または「技術」というものの性質を考えるならば致し方ないことだと思う。
さて、今日の朝日新聞。
記事にあった本田教授の
「これでよく同じ型と言えたな」
というコメント。
これに衝撃を受けた。
技術が進歩する、しないにかかわらず、同じ型かどうかの判断はできるはずだろうと。
当時その結果を見た人々は本当に心の底から同じ型だと思っていたのか。
疑わしい。
科学捜査の結果の解釈をねじ曲げてしまっては、全く意味がない。
ここに作為が入ってしまっては、もはや科学的証拠ではない。
でもそれが法廷の送られれば
「(人為的に作られた)科学的客観性に基づく有力な有罪の証拠」
になってしまう。これはとんでもないことだ。
、、、、と、この先もいろいろと思うこともありますが、この辺にしておきます。
まとまりがなくなっていきそうなんで。
なんにしろ、今回の事件のポイントはここじゃない?