人間は『自分なりの基準』を至る所につくって生きている
人生は選択の連続であり、判断材料はその『基準』がものを言う
しかし、すべてを経験し、『基準』をつくるなど物理的に不可能である。
そこで、人間は他人の『基準』を拝借する
ここで、注意しないといけないのは『自分の知らないものの基準』を作っているのは、他人であるということだ。
ほとんど自分の中にある基準と言うのは『他人の基準』であり、進化過程においてはDNAさえも影響されている。
まさにそれが『安全基準』なのだ
生き残る知恵であったとともに、『安全基準』はストッパーになっている可能性が十分ある。
すると、このストッパーを解除出来たならば、リスクはあるだろうが、大きく前に出ることができる。
日本産の車やバイクがリミッターがついているのと同じで「性能も馬力も素晴らしいのにあえて危険にならないように抑えている状態」である。
自らが制限をかけなければ、外車などの性能の比ではないのだ。
だから、「誰々がしてないから」「誰もやっていないから」という言葉は、非常に魅力的なものになる。
それを自分がすれば良いのだから。
無理だと言われるだろう。
馬鹿だと思われるだろう。
きっと笑われるだろう。
でも、それだけの話だ。
『他人の基準』はつくられているものであり、自分がつくったものではない。
『他人の基準』を鵜呑みにすることの方が危険である
とりあえず、やってみれば良い。
とりあえず、飛び込めば良い。
とりあえず、無茶すれば良い。
誰からも評価されないかもしれない。
でも、自分で基準をつくっていくのは、楽しいことである
それが、充実というものなのだ
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