自分は 昭和39年生まれなので 少年時代の
夏休みは、昭和40年代後半から50年代前半でした
あの頃は わらびぃ~もちぃ~♪とか
と~ふ~♪に聞こえるラッパの屋台とか
アイスキャンデー とか自転車の屋台で売りに来てましたね~
少年時代の夏休みといえば、まず 朝一に
ラジオ体操を近所の公園に行ってやり、
スタンプをもらってきます
自分は3分の2は 遅刻かすっぽかしで ほとんどスタンプ押してもらえてなかったです
帰り道に 歩道橋に行くと ブイブイ(かなぶん)が ようけおりました
比較的 元気がいいのを連れて帰り 糸でくくって 飛ばして遊んでましたね~
弱ってきたら 花の蜜を飲ます為、山までいったり
山や 神社で 蝉とりに行き 100匹ぐらい捕まえてました
昔は 持ち竿の先っぽに とりもちをつけて
蝉をとってました
持ち竿は、今ある 虫とり網の網のないぶんです
とりもちは わかりやすく言えば 粘着シート
A3ぐらいの 油紙に べっとべとの とりもちが着いてるのを 近所の駄菓子屋とかで売ってました
すぐに 近くの電信柱にとまりますが、当時は まだまだ 木の電信柱がありました
ちなみに、梅雨明けした直後に 一斉に蝉が鳴きだすのを聞いて、子供の頃から よう蝉はわかっとるなぁ~ ラジオでも聞いとんか?と思うてましたが、あれは、気象庁に生物季節観測員が居てて 蝉の初鳴を観測しているのだそうです
蝉の初鳴も 梅雨明けの基準の一つなんだそうです
梅雨明けになって 蝉が鳴くのではなく
蝉が鳴いたから梅雨明けなんですね~
そらそーですね
今みたいに スーパーで クワガタやカブトムシを売ってなかったので 蜜(ファンタとかでオッケー)を木に塗り 早朝に獲りにいきます
クワガタもカブトムシも メスは全く人気が無く、なんも悪いことしてないのに
嫌われ者でした
カブトムシは 幼虫の時に よう捕まえてましたね
マメな奴は 成虫になるまでシッカリ世話をしますが、自分は無理でした
雑なんで
雑で ぶきっちょなんで 夏休み自由研究で アリの生態を調べるといって 勇んで 近所の公園に捕まえに行き、アリを一匹一匹つまんで 空きカンに入れて持ち帰ったのですが、全部 腰が砕けて くの字になって死んでました
つまむ加減まちごてます…
あとは、大的場の整備されてない頃の海に泳ぎにいったり 学校のプールに指定日にいったり、栗林動物園の中に めっちゃ冷たい 井戸水みたいな水が満載入っとるプールにいったり、引率してくれる 誰かの
親が居てる時は 国際ホテルのプールにいったり 高学年の頃には、市民プールの流れるプールで ずっと流れとったり
とにかく、しょっちゅう泳ぎに行ってましたね~
宿題は ほとんどせず
夏休み終了間際に 学級委員長の木村くんの家に行き、
「うつさしてぇ~たのむぅ~」
とお願いに行きましたが
小学生のくせに
「ことわるっ!」
言うていわれました
工作は初登校日前日ギリギリに本棚を作りましたが 学校に着くまで (小学校まで2~3分)に崩れさり
絵を書く宿題では
果物の絵を 工芸高校デザイン科の姉に描いてもらい 金賞をとってしまいました
学校に行くと みんな ちっちゃい松崎しげるぐらい 真っ黒で 誰かわからん奴もおりましたね~
すいか、かき氷、チューチュー があの頃の活力剤
クーラーなどなく 扇風機の前で 風 強にして あ~あ~言うて
扇風機の先っぽ 指でつまんで停めたり
ちょっと勇気を振り絞って 指入れて 羽を停めたり
う~ん 懐かしいぃ~✨
小学校の頃の夏休み 最高でしたね
ずーーーーーーっと 遊べるし
なんもない時代でも 周りにあるもん遊び道具にして 遊んでいた時代
それはそれで 楽しい思い出です


