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最愛の息子へ

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みなさん、こんにちわ。

最近、私のところによくインタビューや個人的なメッセージの中でお子さんの扱い方などに対する質問が多くきております。

以前、私は自分の息子が自閉症であることを別のブログで公表しましたが、アメブロで初めて私のブログをご覧になられた方はそのことを知らないと思いますので、改めて当時の記事(2009年10月に書いたものです)を引用して下記に転載致します。

自閉症のお子さんを持っている方も持っていない方も、自閉症へのご理解が深まればとても嬉しいです。

※ご注意:こちらの記事は2009年10月時点での研究結果や事実に基づいて書いたものになります。その後の研究、論文の発表などで明らかになった点については言及しておりません。

-------------以下転載------------

最愛の息子、ルカ・ケイ

ルカが初めて「アイラブユー、マミー」と発したことは・・・小さな男の子にとって大きなステップでした。彼は生まれて18ヶ月の時に受けたワクチンによる水銀中毒が原因で自閉症になり、その困難を乗り越えたのです。

DTP(ジ フテリア、破傷風、ポリオ)の2回目の接種後、インフルエンザワクチンの接種(最悪なものはMMR:はしか、おたふく、風疹)と続いた後、彼はショック状態に陥り、その後以前と同じ状態に戻りませんでした。毎日ひとつのものを近くから見つめたり、その周りをくるくるっ回ったりすることで日々を過ごし、野生 動物のように叫んだり、泣いたり、私たちに噛みついたり、殴ってきたりしていました。そのため私たちの身体はあざだらけとなり、彼の兄を24時間守らなければなりませんでした。

ルカは中毒のせいで、行動が激しく、落ち着きがなくなり、とてつもない苦痛の中を過ごしていました。後に彼の腸に穴が開いていることがわかり、食べ物までもが彼の状態を悪化させていきました。また、この中毒は彼のすべての臓器をも蝕み、最も恐ろしいことにその小さな脳まで侵していきました。

彼は同じ姿勢で何時間も窓の外を凝視したり、小さなおもちゃを一直線に並べ、私たちが動かそうものなら発狂しました。彼はもはや私たちの目を見ることはなく、心ここにあらずで、本当に存在していないような状態でした。私たちが彼の名を呼ぼうとも、もはや聞こえることはなく、耳が不自由 になったと思ったほどです。彼は何かに取り憑かれたようであり、私たちとは違う世界に住んでいるようでした。それは私たちに胸が張り裂けるような思いや大きな落胆を与えました。私たち家族全員は悲嘆の中にいましたが、検査結果上は耳が聞こえなくなっていたというような異常は見られませんでした。

たくさんの検査の後、日本のお医者様は彼は今後ずっと施設にて生活しなければならない、また私たちにこれ以上できることはないということを伝えまし た。4歳まで彼は一言も、本当に何も言葉を発することはなく、高い声で音を立てたり叫んだりするだけでした。私はこの診断を信じることはなく、彼が眠りについた後、毎晩ルカに彼が元通りになるようできることはなんでもすると誓っていました。そしてある夜、私は詩を書きました。それはとても美しい旋律の詩でした・・・が私はルカがいつかそれを読むことができるようになるかどうかは定かではありませんでした。彼がそれをできるようになった今、私はそれを信じていなければならなかったのですが。

ルカは4歳まで私をママだと認識していませんでした。「ノアのママ」だと認識していたのです(ノアは彼の兄)。彼が4歳の誕生日を過ぎた頃、少しだけ話せるようになった時に私のことをそう呼んだのです。「ノアのママ」・・・どれだけ切なかったことでしょうか。それは私の心を砕く出来事でしたが、いつか彼が私が彼の母であることを理解し、どれだけ彼を愛しているかを感じ、すべてがうまくいって普通の生活を送ることができるようになると信じ続けていました。私は日中は仕事をし、そしてルカにとって最善の治療がないかと必死に探しながらのとてつもなく大変な日々を過ごしました。私たちにできることはすべてし、ヨーロッパ、アメリカ、アジアのお医者様、その筋の識者、セラピスト、同じような境遇のご両親にも会いに行きました。彼が良くなるまで私はぐっすり眠ることができませんでした。その間、私はファイナリストのトレーニング、勝者であるミスユニバースジャパンのトレーニング、営業活動、イベントの開催などをしていましたが、どのように全てをこなしていたかはわかりません。ひとつ分かることは、仕事をしていなければ私は正気を失い、治療のためにいかなる種類もの治療を行うためにお金を費やし、破産していたことでしょう。

いつも言っていましたが、私がグーグルユニバーシティにて薬物療法について学んだのは、実はルカのために常に新しいセラピーや治療法をインターネットですべて詳しく調べるためだったのです。病気克服への第一歩は彼もしくは私たちにできることは何もなく、状況を受け入れるしかなく、彼そして私たちはハンディキャップを持つ者、家族として残りの人生を過ごしていかなけらばならないと東京のお医者さんから伝えられた後、自宅へ戻ってきた私は号泣し、嘔吐し、夜にキッチンで意識を失ったのを覚えています。その後苦痛の中で目覚め、私のかわいい息子が奪い去られてしまうという悲嘆のため、 涙を流しながらキッチンにたたずんでいました。

そして私の息子を取り戻すための長い旅がそこから始まったのです。

火山が噴火するように、私の中で巨大なものが湧き出すのを感じました。それはさながら、超人ママのような、不正や受難に立ち向かう戦士のようにどんな困難にも打ち勝つことができるという気持ちでした。私はコンピューターに向かい、インターネットでAUTISM(自閉症)という言葉を検索しました。すると、状態について、可能な治療法、同じ境遇の子を持つご両親の体験談などたくさんの情報が出てきました。最も興味深いことに彼らの多くは水銀もしくは重金属中毒により影響を受けた子供たちについて述べられていたのです。これは私に希望を与えました。なぜならば、ルカは他の普通の子供同様に生まれ、”普通の子”であることを認識することができたからです。そして彼を治すために何かできることがあるという希望を与えてくれたのです。私のミッションが始まり、1日、1週間、数か月、数年・・・そして5年が経ちました。

ルカの健康が害されたのは2003年2月のこと。ちょうど宮崎京がミスユニバースジャパンに輝き、パナマでの世界大会へ向かう頃でした。彼女は私たちの家で多くの時間を共に過ごしていたため、ルカの状態について説明することができるでしょう。そして2009年になった今、努力のかいあってすばらしいご報告ができるようになりました。ルカは傍から見ると普通の小さな男の子に戻ったのです。今ではまるで普通の子のような記憶力、ユーモアのセンス、社交性、運動神経、リーダーシップ、独立心を持ち合わせています。

なぜ、私が今日このことを話題にしたかと言うと、この話が他のご両親の皆様にインスピレーションを与えられたならと思ったからです。また、私は日本で自閉症の子供を持つご両親のためのセミナーにてスピーチをする予定です。(※2012年5月現在ではそのような予定はございません)

このスピーチの中でルカが病気を克服するまでの道のりについてすべてをお教えすることができるでしょう。彼は現、傍から見れば普通の生活を送っています。誰もがこの小さな男の子がある日まったく普通の生活を送ることができなくなったことがあるということに気付かないでしょう。

この私の話がほかの家族の方々のお役に立てばと思っています。事態が好転すると信じられるよう、皆様のお役に立つために私にできることはすべてさせていただきたいと思っています。

Ines