博多阪急で開催されているVIVIDEEP maisonの催事に行ってきた。

この催事は昨年もあって、その時の愉しい印象が忘れられなかった。それからしばらくして、常設ショップが大阪にできるという知らせがきた。

常設ショップができればもう出張催事はなくなるだろうと半ば諦めていたところに、嬉しい知らせが届いたわけである。

年々貧乏になっていく経済を考えると、こういう生きていくために必須というわけではない部分にお金を使うのはバカな話で、実際私はバカだから今こんな状態に陥っているわけだが、そういう現実をほんの纔かの間忘れられる効用が得られるのまた、こうした場なのだ。

くだらない前置きが長くなってしまった。

昨年の印象があまりにも良すぎて今年は不安だったが、杞憂におわった。昨年気に入った陶製品の作家さんは、また違ったスタイルを展開していた。初めて見る作家さんも幾人かいた。そんな中にあって、タイトルに挙げたモケモケはかなり特異な部類に属するとおもう。ちなみにモケモケというのは、実際そういう表記が売り場にあったので用いていることをはじめにお断りしておきたい。

ところで、実はこの催事には日を跨いで2度足を運んだのだが、1度目にこのモケモケを見たときには正直意味がサッパリわからなかった。

ボックス(大小)と花器の2タイプがあって、ボックスは木の箱に布切れのようなものを貼り付けてある。どちらもところどころに白ペンキでつけたような模様が入っている。箱といっても蓋が開くわけでもなく、会場ではブックエンドのように飾っていたが、大半はそのまま無造作に横たわっていた。

実用という点からいえば、誤解を恐れず言えばこれは甚だ無価値な商品である。ユニークで目は惹くものの、これを生活の中に取り入れようという考えは私自身皆無だった。

ところが、2度目に訪ねた際ボックスをあれこれいじっていると、不思議とはりあわされた布の模様が何かの景色のように見えてきて、すっかり夢中になって遊んでしまった。そして結局、大小のボックスを1つずつと花器を買ってしまった。金額のことを書くのは品がないが、3点で15,000円ほどだった。

持ち帰ってピアノの上に置いてみると、これが空間に何とも言えない柔らかさを運んできた。ピアノの上には去年買ったザ・ペイジーズや、もうかれこれ10年くらい敷きっぱなしのルーマニアン・マクラメ、ホンモノかどうかも疑わしい古伊万里のランプなどを飾っているのだが、そこへモケモケが加わることで堅苦しさが取れ、雰囲気が和んだ気がした。

意味のない(ように見える)モノから意味を見出していく作業というのは、独善的ではあるけれどなかなかに面白い。或いはまた、意味の分からないものを分からないまま暮らしのなかに置いてみるのも、これまた愉しいものである。そんなことを教えてくれたモケモケだった。