以前も何度か書いた通り、私は身のまわりに気に入ったモノだけを置いておきたいタチなので、たとえばCDは100枚買っても1年後に残っているのは10-20枚という恥ずべき有り様だった。

「恥ずべき」と書いたのは、それだけ吟味せず好い加減な買い方(聴き方)をしていることを、自ら白状しているようなものだからである。

今年に入ってこの方針を一部修正し、聴かないCDを処分する前に一定の猶予期間を設けることにした。

猶予期間中に聴き返してラックに舞い戻るCDもあれば、結局一度も手に取らずディスクユニオンの買取センターへ旅立っていくCDもあるわけだが、これにより手放した後に買い直す頻度が減った気がする。つまり、無駄な出費がなくなったわけだ(その代わり別のところでお金は出ていく。人間の欲望はうまくできている)。

CDはライブと違い、ディスクをプレイヤーにのせ再生ボタンを押せば、いつでも同じ演奏を聴くことができる。理屈としてはそうなのだが、きき手の軀具合や心持、空模様や気温、湿度あるいは時間帯により必ずしも同じようにはきこえないという、不思議な事が起こってくる。

たとえば気分が荒れているときに古楽系の鋭い響きを聴くと、それがたとえ気に入りのバッハやモーツァルトの音楽でも耳障りにきこえる。

そうしたときに偶々プレイヤーにのせられたCDは不運というほかなく、そのまま整理箱に抛り込まれるのはあまりに気の毒である。

色々な状況で一通り聴いてみて、それでも受けつけない場合はお別れすることにしている。

しかしさらに厄介なのは、そういうCDが数年後無性に聴きたくなったとき、同じ型番のディスクを入手できる可能性が、クラシックの場合かなり低くなることだ。

とりわけ大手レーベルの再発盤はそうで、同じ音源でもジャケットのデザインやディスクの素材が変わっていたりして、同じ物を再度手に入れようとすると手数のかかることが屢々である。

或いはまた、演奏ではなく曲自体への興味の在り方も微妙に変わってくる。

たとえば今、聴きたいと思っても手元に音源がない曲を思いつくままにあげてみると、サン=サーンスの「オルガン付」、リストのピアノ・ソナタロ短調、ベートーヴェンのハンマークラヴィーア、ショパンのワルツ集といった具合に幾つかの曲名がでてくる。

これらの曲は普段関心の埒外にある音楽ながら、いざ聴きたいと思ったときに手元にないと甚だ困る。かといって、興味のないCDをラックに並べておくのもまた厭なのだ。

いったいどうすればいいのか。どうでもいい話ほど終わりが見えない。