以前も似たようなことを書いた気がするが、私の人生は年々軽量化の一途をたどっている。
先ず何と言っても私という人間が、中身が空っぽの軽い人間である。こんなことを最初に書いてしまうと、これから挙げる品々までそんなふうに見られかねないが、それは杞憂にすぎない。
たとえばバッグについて言うと、前に何度か取り上げたandu ametのシープスキンのバッグがあれば他はもういらない。
バッグというものは本来中にモノを入れることを前提として作られるべきだとおもうが、多くのバッグがすでに空っぽの状態にもかかわらず一つの荷物になってしまっている。家を出るときにバッグを一つ持つということは、その段階ですでに荷物を一つ抱えているのと同じである。
足元に目を移すと靴はSKECHERSの軽いシューズで、REGALの革靴を最後に履いたのがいつだったかさえ憶い出せない。
持ち歩く筆記具もぺんてるのエナージェルで十分、腕時計はスマホに変えたら愈々要らなくなった。というよりも、恥ずべきことだが外で腕時計を見るような生活を送っていない。
音楽に関しても、重厚な演奏からは日に日に遠ざかりつつある。そういえば、最近夜に好んで聴いているジョン・ルイスのバッハ(平均律第1巻)も、クラシックとジャズの世界を軽やかに行き来している。
小説はどうかといえば、これは本自体を最近めっきり読まなくなったせいもあるのだろうが、先達て久しぶりに昔好きだった高橋和巳の「悲の器」や「邪宗門」を開いてみたら、10頁もまともに読み進めることができなかった。
このように、今の私は宛ら「重厚さん、サヨウナラ」といった気分で日々を過ごしている。
andu ametの最軽量モデルAiry
ジョン・ルイスのバッハ