普段聴いているのはクラシック音楽がメインなのだが、昔(20年以上前)或る人の勧めですこしジャズを聴いたことがあって、コルトレーンやマイルス・デイヴィス、ヘレン・メリルといった名前を目にすると、今でもなんとなく親しみが湧いてくる。

ビル・エヴァンスもその時に知った一人で、先日ツイキャス配信でBGMとして流れているのを聴いて懐かしくなった。さっそく5枚ほどCDを買ってきて、さらにAmazonから3枚取り寄せてビル・エヴァンスにどっぷり浸かっている。

久しく聴いていなかったので昔に比べて聴き方が深くなっているわけでもないのだが、改めて聴き直して、クラシックとはあまり共通項のないジャズも音楽という括りの中では等しく魅力的だと感じた。

音楽は漢字といっしょで知っているか知らないかの世界なので、読めない漢字がたくさんあるのと同じで知らない音楽も巷に溢れている。漢字は読めればそれだけ対象への理解が深まるが、音楽は好き好きなので篩にかけることが可能だ。しかし、それもまずは聴いてみないことには始まらない。

ジャズは深入りするとあと2,30年は必要な気がして、腰を据えては聴けない。人生の折り返し地点でそんな消極的なことを言うのは私自身の人生そのものを象徴しているが、今さら積極的な生き方に転換していくのも億劫だし、この儘つまらない人生を送ってゆくほかない。

音楽はそのつまらない人生を少しだけ豊かにしてくれる(気がする)存在だと勝手に信じて聴き続けているが、目に見える形で何かが変わるわけでもないし、実際的な暮らし向きが裕福になるわけでもない。

けれど断水すると困るように、今生活の中に当たり前にある音楽がなくなると困る気がする。もっとも、以前誰かが言っていたが、本当に苦しいとき、特に肉体的辛苦に直面したときには音楽を聴く気にさえならなかったというから確信は持てない。

そうはいっても、ある種の依存は生きていくためには不可欠で、その選択肢の一つに音楽はこれからも残り続けるのではないかと個人的には思っている。