昨日何気なく朝のニュースを見ていたら、自粛解除で登校してきた新一年生に記者が「友だち何人ぐらいほしいですか?」と訊いていた。

まだこんなことを尋ねる人がいるのかと思い、びっくりした。

訊かれた女の子は「10人ぐらい」となかなか現実的な数字を答えていたものの、「何が楽しみ?」と訊いて「友だちを作ること」という答えが返ってきたのならまだしも、「友だち何人ほしい?」という訊き方自体が、来たるべき学校生活のシガラミを象徴している気がして気が滅入った。

こんなことを考える私の頭のほうがきっとおかしいのだろうが、〝ガッコウ〟ときくと拒絶反応しか起きないところへ〝センセイ〟が入ると蕁麻疹レベルの私のような人間からすると、そこへ〝トモダチ〟が加わるともはや死の三重奏だ。

先日、家人に「テレワークのように学校もオンラインになればイジメもなくなって最高だね」というと、「そんなふうに人と触れあわないまま社会に出たら、アナタみたいにおかしな人間だらけになるでしょ」と一喝されてしまった。

確かにそうなのだが、以前どこかの地域であった『ガッコウへは白マスク着用で登校すること』みたいなアホな指示を出していた〝ガッコウ(つまりはセンセイ)〟の話を聞くと、そういう場所に集められて指導を受けることが害悪以外の何物でもないような気さえしてくる。

それなら寧ろ自宅で距離感をとって授業を受けたほうが、変な染まり方をせずいいようにも思う。

もっとも、私の亡くなった父も一応教育に携わり〝センセイ〟と呼ばれていたので、センセイの優れた面についてはそれなりに理解しているつもりだ。しかし、何かが欠落している感は否めない。

たとえば、前にも書いたが夕食のおかずを全てミキサーで攪拌しペースト状にして食べるなどという奇行は、本人は消化にいいからと平然としていたし母も「パパのお金だからね」と気にも留めていなかったが、コトと次第によっては家庭問題に発展しかねない蛮行といえる。

勿論こんなことをしている〝センセイ〟はいないだろうが…。

それにしても、なぜ私はこんなに学校や先生を毛嫌いするようになってしまったのだろう。

思い当たるような厭な記憶もないし、それに代わるいい思い出も絶無ながら、少なくともこれほど歪んだ視点で教育現場を見るに到る体験はしてこなかった筈だ。

やはりこういう荒んだ暮らしをしていると、素直に物事が見られなくなるのだろう。

 

 

 

 

※画像はネットから借用したイメージです。