先達てのブログでツイキャス配信について触れたが、ネットでのやりとりで最も難しいのは『文字』によるコミュニケーションの取り方だとおもっている。たとえば「そうですね」という、いわば相槌代わりの言葉一つとっても、それが心からの同意や同調によるものなのか半ば呆れ気味に発せられたものなのかを、文字だけで判じることはできない。

これが電話でお互いに声を聞き合っていたり、実際面と向かってやりとりしていれば随分手がかりが増えるのだが。

そこでよく見かけるのが語尾に『w』を付す手法である。私はこの記号を用いたことはこれまで一度も無い。2,3回〝(笑)〟を使った記憶はあるし、Twitterの絵文字は状況に応じて使ったりしているが、『w』に関してはどういう場面で、どういうノリで付ければいいのかが分からない。

冒頭の「そうですね」に『w』をつけると「そうですねw」になるわけだが、勝手な解釈で言葉に置き換えると「そうかもしれないですね」とか「そうなんですか?」というニュアンスになり、同意や同調からは遠ざかる印象だ。

でも、一方で呆れ気味の感じも随分薄まり、相手に対して「きいていますよ」というアピールにはなりやすいように思う。しかし、難しい。少なくとも私には使いこなす自信がない。

そして今ひとつ解せないのは、これはネットに限った話ではないのだがすぐに〝年齢〟と〝職業〟を聞きたがる風潮だ。以前はここに〝血液型〟が入っていて閉口したものだが、最近あまり耳にしなくなったのはいい傾向だとおもっている。

特に年齢については、たとえば易者や医師が生年月日を訊いたり年齢を確認したりという以外に聞き出す必要性もない気がするのだが…。

職業についても同じで、これは自分自身が無為徒食のロクデナシである僻みで言うだけなのだが、年齢や職業を知って相手に対する接し方が変わるというのもおかしな話ではある。

たとえば報道番組のゲストに桜井よしこが出たときと、野党の若手議員が出たときで相槌の打ち方や態度がまるで違う某キャスターがいるが、やはり見ていて気持のいいものではない。

年齢やキャリアというものは一面においては敬われるべきであるとは思うものの、基本的に人と人とは対等であって年齢や職業、性別は付け足し程度の情報にすぎない。

特にネットというのは本来そういう部分がかなり曖昧な空間であって、それが居心地の良さに繋がっていたのに、最近はリアルとの境目がどんどんなくなりつつある。私のような社会不適応者はいったいどこへ逃げ込めばいいのだろう。

 

 

(画像はネット上から拝借しました)