世の中には〝本物(ホンモノ)〟と〝贋物(ニセモノ)〟が存在すると言われている。

確かに本物は唯一無二であるけれども、贋物の世界は複雑化している。以下は個人的見解に基づく独りよがりの雑感である。

ちょっと前に、安倍首相のいわゆる「くつろぎ動画」が大いに話題になった。どちらかと言えば否定的意見のほうが多かったようにおもうが、その賛否はともかく、この動画で確かなことは安倍首相が〝本物〟だという点である。

ここで『本物』について辞書を引いてみると、次のような定義がなされている。

 

本物…①にせものでないこと。実物。②技芸などが素人ばなれして本格的なこと。(広辞苑より/以下同じ)

 

私がここでいう本物とは当然①の意味であるが、ここに幾らか個人的見解を付け加えると、本物〝だけ〟が醸し出す雰囲気が滲み出ていることが必要である。

次に『贋物』を引いてみる。

 

贋物…にせてつくったもの。偽物。偽造品。

 

ところで、前述の『くつろぎ動画』が出た直後、首相のものまね芸人ビスケッティ佐竹による同じモティーフの動画が出た。

これは確かに贋物なのだが、大変クオリティーが高く、私は寧ろ広辞苑の『本物』の項にあった②の意味、すなわち「技芸などが素人ばなれして本格的なこと」が当てはまるように感じた。

このように、『贋物』のクオリティーが上がると『本物』の領域に近づいていくわけだが、当然『本物』と『贋物』は違う。それはやはり、コトバでは言い表せない本物だけにしか出せない〝雰囲気〟の有無に因るところ大であろう。

これは『くつろぎ動画』を引き合いに出すまでもなく、一流ブランドの真贋を考えれば一層わかりやすい。

本物の箱と布袋に本物のバッグが入っているものが正真正銘の『本物』であり、箱と布袋は本物だがバッグが偽造品である場合は『贋物』である。しかし、その偽造品の中に〝精巧な〟という前置きがつくものが存在する。

こうなってくると、『本物』と『贋物』の二択では複雑化する現状に対応することは不可能である。

というのは、それらとは全く別物の、敢えて言えば〝マガイモノ(擬物)〟とでも呼びたくなるような、贋物以前のお話にならないものが世の中には多く存在するからである。

ブランドバッグの例でいうと、箱と布袋も本物らしいニセモノ、中身にいたっては〝一目見て〟贋物だと分かる粗悪品の存在である。

もっとも、擬物を辞書で引いてみると、

 

擬物…似せてつくった物。にせもの。

 

と出ている。これだと贋物=擬物ということになり、わかりづらい。時代に適った新語ができないものだろうか?

蛇足ながら、今述べたことを視覚化すると以下の通りである。ここでは〝一目見て〟贋物だと分かる粗悪品は、取り敢えず『擬物』ということにしておく。

 

ホンモノ

 

ホンモノに近いニセモノ

 

ニセモノ以前のマガイモノ