歯磨きである。

歯磨きは日々ルーティンに行うものであり、それは変わらない日常の証明である。

朝起きて、食事の後、寝る前、ひたすら鏡に向き合う。自らの卑しい顔を凝っと視詰めながら、その変化を具に観察する。

口の中が泡で溢れかえれば、それは限界である。何事にも限りのあることを知り、飲み干すか吐き出すかという「選択」を迫られる。

飲み干せば不快である。そこで、選択とは「正しさ」よりも「心地よさ」が優先されることを学ぶ。

水で口を濯ぐ。「水」の有難みを知り、頭を垂れる。

さっぱりした。爽やかな呼気に安息を思う。

だがしかし、粘膜が露わになる。そのグロテスクな醜さに慄然とし、ここが軀の入り口であることを悟る。

歯磨きとは何と深遠な行為であろう。

 

 

注)上記は歯磨き粉を使ったときのみ有効です。歯磨き粉を使わず歯を磨かれる方、歯磨き習慣のない方は別の方法で人生についてお考え頂ければ幸いです。尚、泡を飲み干す際は自己責任でお願い致します。