久しぶりに本屋へ行ったらレコード芸術の新刊が出ていた。この雑誌を買わなくなって久しいが、見出しをみると〝新時代の名曲名盤500〟の文字が躍っている。飽きもせずまだこんなアホな企画をやっているのかと呆れながらも、手にとってパラパラと捲ってしまうところが常に周りに流され自分というものがない私の愚かなところである。

しかもそれを買って帰るのだから、これこそアホの極みで、こんな人間がいるかぎりこの馬鹿げた企画も安泰だ。

それはともかく、バッハの項を見て愕いたのは、これまで鍵盤作品で上位を独占していた(あれはあれで異様だった)グールドが曲よってはかなり順位を落としていることと、〝人類の音楽遺産〟ように恭しく持ち上げられていたリヒターのマタイ受難曲(1958年盤)が土俵際に追いやられランキング圏外スレスレになっていたことである。ミサ曲ロ短調に到っては、もはやリヒターの名前すら見当たらない。

ブルックナーにおけるアーノンクールの擡頭にもびっくりしたが、バッハの地殻変動はそれ以上だった。リヒターに関して言うと、管弦楽組曲とブランデンブルク協奏曲からもその名前が消えてしまった。

弦楽のほうに目を移すと、これはもうイザベル・ファウストの独壇場で、このぶんだとこれから出てくる他の作曲家のコーナーでも彼女のディスクは上位を占めるのではあるまいか。

まさに〝令和の女王〟といった印象だが、私の雑な耳では彼女のよさを聴取することはできなかった。

ところで、こういう場合に目だと『節穴』という便利な言葉があって、私の場合、目同様に耳もそうなのだが、これをうまく言い表す表現を識らない。『籠耳』とか『笊耳』というコトバもあるようだが、これはちょっとニュアンスが違うような気がする。ご存じの方がいらっしゃれば是非向学のためご教示頂きたい。

それにしても、評者が大幅に入れ替わるとランクインするディスクも大きく変わるというのはある意味で健全な姿で、新しい現代の演奏が今を生きる人たちの感性にフィットしている証とも言えそうである。