緊急事態宣言下のコロナ自粛からまだ3週間も経たないのに、もう3ヶ月くらい経った気分である。

日常生活の中の大きな変化として、家人の終日在宅に伴う音楽環境の変化があげられる。

これまで平日の午前中(水曜日を除く)家人がスイミングクラブに出掛けていたので、その間にマーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチ、或いはシベリウスといった比較的大音量の交響曲を聴くのが常であった。家人が戻ってからはモーツァルトやハイドン、夜は周囲の事情もありバッハといった塩梅に音楽を聴き分けていたのだが、今は家人が隣の部屋に居座っているせいで朝から細々とモーツァルトクラリネット五重奏曲をかけてみたり、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を聴いてみたりと苦心している。

因みに昨日は曇天だったのでブラームスの二重協奏曲から始めたら、隣室の咳払いが大きくなった気がしてヴァイオリン・ソナタに慌てて切り替えた。今朝はブランデンブルク協奏曲を小さめの音量で聴いた。

さらに、これまでは家人がスイミングクラブの送迎バスを利用して隣接の大型スーパーで食材の調達を担っていたのだが、それができなくなった。

車もないし時節柄バスやタクシーにも極力乗りたくないというので、仕方なく私が自転車を漕いで近所のスーパーを梯子して食材の調達をしている。これが意外に大変で、それを調理する方はもっと大変には違いないが、肉や野菜はともかく魚のえらび方が難しい。

1パックでいいのか2パックいるのかもわからない。「ししゃも」ばかり買って帰ると不評だし、電話で尋ねれば早いのだが、こうしたときに「それじゃあ、ついでに○○もお願いネ」と言い出すのは、女性のわるいクセではあるまいか。それを避けるため電話は極力しないし、着信にも応じない(気付かなかったとトボけている)。

そして、スーパーの広いこと!端から端まで移動するだけで疲れてしまう。

買い物から帰ってからは同居猫と束の間の午睡、家人が台所に籠もる夕方になってようやく大音量作品の出番である。マーラーの1番やショスタコーヴィチの7番、シューマンの3番、ラフマニノフの2番等々。

早く朝からマーラーやブルックナーが聴きたい。