先日タワーレコードのヴィンテージコレクションから出ているベイヌムのブラームス交響曲全集(オーケストラはオランダのコンセルトヘボウ管弦楽団。最近どうもこのオーケストラに惹かれるようである)を買った。

とてもいい演奏だった。このセットには交響曲の他に幾つかの管弦楽作品とヴァイオリン協奏曲も収録されている。

ヴァイオリン協奏曲でソリストをつとめているグリュミオーはお気に入りのヴァイオリニストで、極端なことを言うと彼の録音が残っている作品に関しては、だいたいその演奏で間に合っている(シベリウスやショスタコーヴィチは録音が残っていないので他の奏者のCDを聴いている)。

ブラームスは後年の録音もあるが、私はベイヌムとの共演盤で満足している。以前海外の廉価レーベルから出ていた10枚組ボックスを買ったときにこの音源が入っていた。ところが、第2楽章の開始から暫くの間ひどいノイズが混入していた。非常に耳障りで、別の輸入盤を買い直して聴いていたのだが、タワーレコードから音質を一新の上、全集という形で売り出されていることを知って買い直したわけだ。

ヴァイオリン協奏曲以外も頗るいい演奏で、ブラームスの交響曲全集に関してはこのセットとワルターの録音があれば十分かも知れないと思ってしまった。

因みに前述の廉価レーベルの箱は、別のCDボックスに付いていたブックレットを額装したフレームの隣に飾っている。

グリュミオーという人は猫好きだったようで、額装した頁にも猫が映っている。朝のひとときかティータイムかはわからないが、本人はティーポットを傾け、窓辺の猫たちは皿に注がれたミルク(もしかしたら違うかもしれないが)に夢中である。

1匹は順番を待っているのか先に空腹を満たしたのか、澄ました顔で座っている。なんとも優雅なワンショットで、これを見ただけで演奏家の人となりとノーブルな音楽性が伝わってくる。

我が家のいつも叱られてばかりの哀れな猫とは大違いで、ほんとうに倖せそうだ。動物にかぎらず命あるものはやはり〝愛〟のある人のもとで共に暮らすべきだと思う。

私も2週間に1度のトイレ丸洗いや朝晩の歯磨き、2日おきのブラッシングといった最低限のことはやっているが、それはいわば義務感からやっているに過ぎない。さらにいえば、同じ空間を共有する上で気持よく暮らす為、つまりは自分のためにやっているのだ。当然のことながら愛と義務感とでは表面的にやっていることは同じでも中身はまったく違う。

もっとも、そんな愛なき同居生活も8年近くになるともはや腐れ縁といえる。