もうかれこれ10年くらい前になるだろうか、偶然通りかかった丸善の催事で一目惚れして買ったレースの敷物を、今も飽きることなくピアノの上に飾っている。

「ルーマニアンマクラメ」という聞いたこともない異国のレースだったが、いわゆるレースという言葉の響きから聯想する女性的で嫋やかな、少し意地悪な言い方をするとお高くすました感じのそれとは違い繊細さの中に勁さを宿している。

そんな美しくも無骨なレースにすっかり魅了され、これなら10年といわず形あるかぎり飽きることはあるまいと思い購入したのだが、飽き性の私にしては珍しく勘が当たり、爾来10年以上同じ場所に飾り続けている。

毎日眺めてもその複雑な模様がいろいろな形に見えてきて、同じモノを見ている気分にならない。つまりは日々新鮮な気持で眺めることができるわけで、そのあたりが飽きのこない理由かもしれない。

音楽も善し悪しは別にして、気に入りの演奏というものは毎日聴いてもその日その日の心持や空模様、軀具合によってきこえてくる楽器の音や音色、強弱などが変わってくる。だから何度でも何度でも聴こうという気になる。小説も、たとえば谷崎潤一郎の「細雪」などはもう幾度も読んでいるのに、どの頁から読み直してもそこに物語の新しい味わいが生まれてくるように感じられる。

しかし、世の中の多くのモノは「飽きる」ように創られているように思う。それは当然で、飽きてもらわなければ商売にならない。芸術くらいはそれに目一杯抗って欲しいものである。