去年の暮れ、朝比奈隆最晩年のブルックナー交響曲選集を買い求めた。タワーレコードとオクタヴィアレコードの共同企画で収録曲は4,5,7,8,9番。全てライヴ録音で9番以外は既発売の音源同様、終演後の拍手が収められている。この拍手について、レコード芸術2020年1月号に興味深い記事が載っていた。

それは、指揮者自身が8番に関しては拍手のカットを望んでおり差し替え用セッションまで組まれたそうだが、そのセッションで当の本人が曲が終わった後に思わず声を出してしまい、結局そのテイクが使えなかったというものだ。

これを読んでCDを聴くと一層残念でならない。指揮者が拍手のカットにこだわっていたのになぜ再度録り直しを行わなかったのだろう。

それほどにこのCDに収められた蛮声混じりの拍手は耳障りで、演奏自体の価値を毀損するといっても過言ではない。これは朝比奈の多くのライヴ盤に共通する悩ましい問題である。結局このセットは後日手放した。

初出の時はともかく、こうした再発売の際にも蛮行を排除することにメーカーが及び腰なのはいかなる理由かは分からないけれども、少なくとも拍手がなくなったから買わないファンよりも、拍手がなくなったのなら買い直したいと思うファンのほうが多そうな気がするがどうなのだろう。

もっとも私自身、実際出掛けた音楽会でのフライングブラボーや絶叫に近い歓声の類が癇に障らないといえばウソになるが、生演奏を聴いて感極まって声を上げてしまう気持は分からないでもないし、これを誹るのは人間の自然な感情を抑え込むようでいささか忍びない気もする。

しかし、家で聴くCDの場合は全く事情が異なる。繰り返し何度も聴くことを前提に作られているアルバムに、1回限りの、そこに居合わせた人たちの感興まで記録する必要がはたしてあるのだろうか。

他方で、ライヴ録音から拍手が取り除かれているのは不自然で釈然としないという人もいる。確かにホロヴィッツの一連のライヴ録音からきれいに拍手だけが取り除かれたとしたら…。けれど、ホロヴィッツの場合聴衆の反応も含めての芸というか、演奏との一体感にさほど違和感を感じさせない。

更に手前勝手なことを言わせてもらうと、自分が聴きに行った演奏会のライヴCDの拍手は気にならないのだ。これはパチンコ屋で自分の喫うタバコにはお構いなしだが他人の烟には妙に過敏になる一部の喫煙者と同じ思考である。

こうなってくると、少なくとも商品を手にする前に拍手の処理について売り手のほうから積極的に情報を出して欲しい。少なくともライヴ録音における拍手の有無に関してはジャケット裏面に明記してもらえると有難い。

そういえば、先日届いたヤニク・ネゼ=セガンのマーラー8番のライヴ録音(フィラデルフィア管弦楽団)も終演とほぼ同時の特大ブラボーに閉口し即ヤフオク行きとなった。日本の一部の聴衆の絶叫もすごいが、アメリカは食べ物が違うせいかさらに強烈である。

終わりよければすべてよしと言うつもりもないけれど、最後の最後でがっくりくるようなブラボーや拍手は本当に勘弁してもらいたい。