冒頭から辛気くさい話で恐縮だが、我が家は基本的に笑いのない暗い家である。そのため笑いに対する感度も頗る鈍い。

なぜこんなことを書くかといえば、暮れのM!1グランプリをみていて、それはちょうどM1史上最高得点を叩き出したコントであったにもかかわらず家人も私も全く笑えず、それが最大級の讃辞と高得点を獲得しても尚釈然とせず、放送終了後聞えてくる絶賛の嵐に愈々孤立感を深めるに到ったからである。全くピントのずれた疑問だが、最近のお笑いをラジオの声だけで聴いた場合ほんとうに愉しめるのだろうか。

紅白歌合戦も年々視覚偏重の構成でテレビ視聴が当たり前の作りになってしまい、ラジオで聴いていても何が起きているのかサッパリ分らないので結局テレビのある部屋まで行くわけだが、歌声を聴くというよりはもう歌唱付の出し物をみているようだ。

プロ野球中継をみる際テレビの画面はそのままで、音声だけを消し、ラジオの実況を聴くという人も結構いるようだが、やはり視覚に訴えてくるものよりも聴覚に訴えてくるもののほうがより信頼が置けるのではないだろうか。

パチンコなどは視覚重視の最たるもので、ホールでアイマスクをして打っている人は皆無だが耳栓をして打っている人は結構見かけることでもそれはよくわかる。寧ろ周囲の雑音(騒音)がないほうがより遊技にのめり込めるのかもしれないが、私は音のないパチンコは全く打つ気になれない。

パチンコといえば年が明け件の貯玉70万○○○の年末年始のブログを纏め読みしたら、ホールのマスコットキャラクターの着ぐるみとのツーショット写真がアップされていて軽い嫉妬を覚えてしまった。

さすがに貯玉が70万もあれば気持にもゆとりがあって、ツーショットの一枚も撮りたくなるのだろう。私が同じ立場ならツーショットでは飽き足らずハグした上で花束を渡していたかもしれない。もっとも、現実には年末に打ちに行かなくて本当に良かったと思った。あの着ぐるみと遭遇していたら、わざと足を踏んづけていたことだろう。

それはともかく、現代はいろいろなことが見えすぎて、あらゆる場面へのアクセスが容易になり、温かい気持が生まれやすい反面私のようにやさぐれた気持にも傾きがちである。

そういう時に最適なのがヴォーン・ウィリアムズの小品であろう。こういうこともあろうかと予め取り寄せていた(というのはウソで、何日か前にみたある音楽家のツィートに興味をそそられただけである)。

美しく耳馴染みがよく、帯にある「さわやかな演奏が耳に心地よさを運んできます」という謳い文句そのままの音楽がここにある。

 

【2020/4/23追記】結局聴いたのはこの時1度かぎりで、先月ディスクユニオン買取センターへ旅立っていった。