かれこれ10年以上前になるが、輪島塗の向付を一客だけ買い求めた。色と形が気に入ったからだが、その後何に使うか一向定まらないまま、猫の歯磨き用綿棒入れにしてみたり眼鏡クロスを入れてみたりあれこれやってみたが全くサマにならない。

もともと向付なのだから当たり前といえば当たり前だが、いまさら従来の使い方はできないし、そもそも一客しかないのだからと長らく棚の隅と机の抽斗の中を行きつ戻りつしていた。

先達て100円ショップを徘徊していたら、多目的カードと書かれた白無地の少し厚みのある名刺大のカードが売られていて、これなら向付にちょうど合うのではないかと思い試しに一袋買ってきた。

早速入れてみると、これが幅も高さも実に具合がいい(と自分でただ悦に入っているだけであるが)。十数年の時を経て、向付はメモカード入れとしてようやく居場所を得た。

たいていのモノは色や形や大きさが手に入れる前から決まっている。つまり、世界がそれだけ狭められている。その制約のなかで使い手はその手に入れたモノをより身近な、愛着の持てる姿に近づけていかなくてはいけない。その為には、時にモノの存在を忘れ放っておくことも必要なのかもしれない。