広場の片隅の夜営地から教会に向かって、アランは重い足を運んでいた。
 今日一日だけで、いったい何人の戦友を喪ったことだろう。
 つい昨日までは馬鹿話をして笑い合っていた仲間たちが、ものいわぬ冷たい骸となって教会に安置されている。
 そこにずっとこもっている彼女のことが心配だった。
 教会の扉の前までたどりつくと、ちょうどそこからロザリーが出てきたところだった。
「……隊長は?」
 ロザリーはアランに気づくと大きな目をうるませて言った。
「ずっとアンドレのそばに……あんなオスカルさま、見たことない……おいたわしくて……」
「……そうか」
「わたし、明日の朝また一番に来ます。明日は怪我人のお世話の手伝いをすることになってるから……」
「ああ……」
 ロザリーが去ると、アランは息を整え重い扉を開いた。

 狭い教会の中には、血臭が充満していた。椅子や祈祷台をすべてとっぱらい、空けた床にせめてもの莚や布を敷いて、弊れた兵士や市民たちを安置してあった。
 薄暗いその部屋の一番奥の壁際に、彼女がいた。
 アンドレのからだに身を寄せるようにうずくまり、彼の手を握って自分の頬に押しあてている。
 瞼を閉じ眠っているようにも見えたが、アランが近づくとその足音に目を開け、ちらと彼を見た。
「アランか……」
「隊長……」
 アンドレの手を自分の頬から首すじに何度もすべらせるようにして、彼女は呟いた。
「こうしているとあたたかいんだ」
「……」
「彼は……身をけずるようにしてわたしを生かしてくれてきた。だから今度はこうしてわたしのぬくもりを彼に分け与えるんだ」
 そう言って、彼女は薄く微笑んだ。
「……おまえは知っていたのか?」
「……目のことですか」
「知っていたのだろう?」
「……」
「いいんだ……咎めるつもりなどない。いくら彼でも、盲目でだれの助けもなしにあそこまで戦闘についてこられるとは思わない。むしろ……彼を支えてくれたことに感謝したいくらいだ。彼はだれがなんと言おうと、わたしをひとりで戦いの場にやろうとはしなかっただろうから」
「隊長……」
「咎められるべきはわたし」
 ふいに彼女の声の調子が変わった。
「時おり、ふと不審に思うことはあったんだ。落としたものを手探りで拾おうとしていたり、視線がどこを見ているのかわからなかったり……なのに、わたしは徹底して疑うということをしなかった。いつも自分のことで精一杯で……いや、それも言い訳だな」
 彼女はゆっくりと立ち上がり、壁を背にアランに向き直った。
 アランはまともにその眼を見た瞬間、総身に震えが走るのを覚えた。
 常に冬の湖面のような静かな光をたたえている彼女の眼は焦点を失い、暗闇が支配していた。
 横たわるアンドレの顔を見やったその暗闇から涙が止めどなくこぼれあふれる。
「わたしは……恐かったんだ。彼がいつも背後にいて支えてくれる、わたしにとってのあたりまえの日常を失うのが。だから彼の苦しみを見ないふりをして……彼から光を奪ったのは、わたし自身だというのに……!」
 聞くものの胸を裂くような叫び声をあげたかと思うと、握りしめたこぶしを繰り返し壁に叩きつけ始めた。
「自分、自分、自分!わたしは徹頭徹尾自分のことしか頭にない卑怯な人間だ!そうして結局最期は、独りで逝かせてしまった!どんなにか苦しかっただろう……恐ろしかっただろうに……!」
「隊長!」
 こぶしに血がにじむのもかまわず、彼女は壁を叩き続ける。
 アランは壁から離そうとそのからだに手をかけたが、彼女は逃れようと激しくもがき、彼を睨みつけた。

「わたしに触れるな!わたしに触れていいのは……」

 黄金の髪をふり乱し蒼白な顔を涙で汚しながらも、その姿は凄絶なまでに美しかった。

「アンドレ……わたしのアンドレ……」
 ずるずると崩れ落ちるようにふたたびアンドレの傍らに座りこみ、その頬に自らの頬を押しあててすすり泣く。
「伝えたかった……最期にひと言、愛していると……未来永劫わたしの夫はおまえひとりだと……ささやいて……抱きしめて……ああ……なぜこんなに冷たいんだ?いつだっておまえはあんなにあたたかかったのに……」
 彼女の悲嘆にかけるべき言葉などなかった。なにを言っても言葉は上滑りし、彼女のもとには届かないだろう。
 しばらくそうしたのち、彼女が呟いた。
「……ふたりにしてくれ」
「……」
「心配するな……ばかなことはしない。そんなことをしても、アンドレと同じところにはいけないからな」
 その眼には、微かではあるが光が戻っていた。
 己れの無力さに悄然としながら、アランは立ち去るしかなかった。

 教会の中はふたたび彼女と彼と死者たちだけとなり、彼女のむせび泣く声が静かに響いていた。
 と、オスカルは胸につかえを覚え激しく咳き込んだ。喘ぐような呼吸とともに鮮血がアンドレと彼女の手を染める。その血はアンドレの軍服にこびりついた血にも重なっていく。ふたりの血が混じりあうのを見つめながら、オスカルは彼に語りかけた。


 アンドレ……長くは待たせない
 わたしももうじきそちらへいく
 そうしたら……もう二度と離れまい


 夜明けまで、あとわずかであった。


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ベルサイユのばら二次創作第10作め。2021年4月20日UP。


愛するアンドレを喪った夜、オスカルさまはどうやって過ごしたのか。

原作では描かれなかったこの場面、アニメ版では悔恨と悲しみにまみれ雨に打たれながらパリの街を逍遥するオスカルさまの姿がもの哀しく表現されていました。

それはそれで胸に迫る切なく美しい場面だったのですが、もしわたしだったら……と想像すると、やはり彼のそばから離れられないのでは、と思います。

長い長い年月をおたがいの半身として生きてきた彼、やっと彼への愛に目覚めて身も心も結ばれ、これからふたりの人生が始まるはずだった矢先に逝ってしまった彼。

彼が見えていないことに気づけなかった自分への怒りと、病に冒されたからだでこれからひとりで生きていかねばならない不安。

惜別の悲しみと愛するが故の苦しみをひとりで耐えることなどできなかったのではないかと思います。


この夜のことを想像するのはとてもつらいです。

それなのになぜ書くのか。

書くひとそれぞれに理由はあると思いますが、わたしの場合はオスカルさまの心の動きを想像し文章にすることで『あの夜のオスカルさまに寄り添いたい』そんな気持ちで書いています。

考えてみたら、物語の隙間を埋めるSSを書くときはいつもそういう気持ちで書いていると思います。

オスカルさまなり、アンドレなり、アランなり……そのときの彼らの心や行動を思い描くことで彼らに少しでも近づき、寄り添いたい。そのためにSSを書いているのかもしれません。