森をおおう緑の葉が、さやさやと鳴っている。
 その葉ずれの下を、ほとほとと歩くふたりの子ども。
 年のころは九、十歳ほどか。
 ひとりは黒髪に優しげな目をした少年、彼よりもやや小柄ないまひとりは金色の巻き毛を頬にゆらし、勝ち気そうな目の……一見少年だが、まろやかな頬の線が少女であることをものがたっている。
 ちょっと前まで梢を照らしていた陽射しが傾きはじめ、夕暮れが近いことを知らせていた。
 それを見やり、少年が気遣うように少女の顔をのぞきこんだ。
「大丈夫、オスカル?」
「平気さ、アンドレ」
 実のところ、ふたりはこの森で道に迷ってしまっているのだった。
 ここは少女———オスカル———の家の所領アラス近郊のサン・ニコラの森。
 母親が、近くの町に嫁いだ姉のひとりを訪ねるというのでついてきたはいいが、延々と交わされる女のおしゃべりに飽いたオスカルが「森に行きたい」と言いだした。
侍女をつけようとしたが「アンドレとふたりで行くからいい」と譲らない。
 こうと決めたらきかない末娘の気性を知っている母親は、苦笑しながら
「アンドレがついているなら、大丈夫でしょう。夕方までには戻っていらっしゃい。アンドレ、オスカルをお願いね」と送り出してくれた。
 めったにない子どもだけの自由な時間を手に入れ、ふたりは大喜びで出掛けた。
 森の小路のわきに小さな赤い実が生っているのを見つけ、アンドレが「野いちごだよ。甘酸っぱくて、おいしいんだ」と言いながらちょっとかための草の茎に、ちっちゃないちごをいくつも刺して「ほら」とオスカルにわたす。
「わぁ……すっぱい!」
 はじめて口にした実の野性的な味に夢中になり、服が汚れるのもかまわずあちこち走り回って新たな実を見つけてはアンドレに示して笑う。
「オスカル、あんまり道から外れちゃだめだ」
 そう言いながらもアンドレも屈託なくはしゃぐオスカルの笑顔には逆らえず、彼女を追ってどんどん道からそれていき……そして、ふたりして迷子になったというわけだった。

「平気さ!」
 そう答えながらもオスカルの目には滅多に浮かばない不安の色がにじみ、アンドレの手をにぎる指先は少し冷たくなっている。
「じきに日が暮れる。これ以上歩き回ってもかえってあぶない。ちょっと冷えてきたしここらで火をたいて休もう」
 初夏とはいえ、日が落ちると急速に気温が下がる。
 茂みが途切れて開けた場所を見つけ、アンドレはそこにバスケットをおいた。
「オスカルはここにいて。ちょっと火起こしの材料さがしてくる」
 オスカルに自分の上着を着せかけると駆け出し、しばらくして両手いっぱいに枯れ枝と松ぼっくりを抱えて戻ってきた。
「松ぼっくりをどうするんだ?」
「これがあると簡単に火がつくんだ。見てて」
 松ぼっくりを数個重ねて置くと、ポケットから火打金と燧石すいせきを取り出し、打ち合わせて火花を飛ばす。
 消し炭についた火種を松ぼっくりの山に落とし、その上に細い枯れ枝をのせ祈るような仕草で息を吹き込んだ。
 煙が出て火種は一気に燃え上がった。
 オスカルはアンドレの流れるような手つきを魅了されたように見つめていたが、火に手をかざして「あったかい……」と微笑んだ。
「おなかもすいただろ?おくさまに、お昼にって持たせていただいたバゲットとりんごの残りがあるけど……ちょっと待って」
 バスケットからりんごを取り出すと、器用にくるくると皮をむき、うすく切ってバターといっしょに銅の皿にのせ、火であぶった。
じゅ、というバターのとける音にまじって、あたりに芳ばしく甘酸っぱい匂いがただよう。
しんなりとしたりんごをバゲットにのせ、オスカルに差し出した。
「……おいしい!」夢中でほおばるオスカルの様子を嬉しそうにながめながら、アンドレも残りのりんごをかじった。
 バターはさっき使いきったから、これは生だ。

 そうしているうちに日が落ちてあたりはすっかり暗くなり、森は昼間とはちがう顔を見せていた。
 時折なんとも知れぬ鳥の鳴き声がひびき、どきりとする。
 知らず知らず、ふたりは巣の中の小鳥のようにぴったり身を寄せ合っていた。
 たがいの体温が心地よく、安心できた。
「……ははうえ、心配しておられるだろうな」
「うん……ごめんよ、オスカル。おくさまにちゃんと世話するよう、ぼくが任されたのに……」
「アンドレはなにもわるくない。ぼくがわがまま言って、道をはずれたから」
 アンドレの肩に金髪の頭をもたせかけ、オスカルはつぶやいた。
「うれしかったから……」
「え?」
「ふだん屋敷だと、ぼくは勉強だ剣や乗馬のけいこだってなかなかおまえとゆっくり遊べない。おまえも仕事がたくさんあるだろう?たまに遊んでても、侍女たちがなんやかやとうるさいし」
 ふてくされたようにふくらませた頬が、焚き火に照らされ光っている。
「けど今日は、ほんとうにひさしぶりにおまえとふたりだけでいっぱい遊べたから……うれしくて、ついはしゃぎすぎちゃったんだ」
「うん……そうだね。ぼくもオスカルとこうしてゆっくり過ごせてうれしかったな」
「帰ったら、ばあやにこっぴどくしかられるだろうなぁ」
 どちらからともなくくすくすと笑いあい、またしばらくだまって炎を見つめた。
 ゆらいでは燃え上がる炎のさまは、いくらながめていても飽きない。
「……アンドレはすごいな」
 ぽつり、とオスカルがつぶやいた。
「え?」
「魔法みたいにかんたんに火が起こせるし、さっきはお昼の残りであんなおいしいものを作ってくれただろう?屋敷でだって、朝早くから起きて掃除したり馬の世話したり、厨房の手伝いに侍女たちの使い走りに……大人たちと同じようにはたらいてる。みんなの役にたってる」
 アンドレは驚きの目でオスカルを見た。
 自分の仕事についてオスカルに話したことはない。
 見ていないようで、彼女は使用人たちの仕事の様子をよく見ている。幼いとはいえ、さすがは次期当主だ。
「……ぼくは、なにもできない」
 もてあそんでいた小石を炎の中へ、ぽん、と投げた。
 ぱちり、と薪が小さくはぜる。
「みんなに世話をしてもらうばかりで、なにもできない。おまえとひとつしかちがわないのに……」
「そんなことはないよ、オスカル」
 枯れ枝をひとつぽきりと折ると、燃え盛る炎の中に足した。
「……思うんだけど、ぼくらは歩いてる道がちがうんだよ」
「道?」
「そう。ぼくが歩いてるのは、屋敷のひとたちが困らないよう、みんなが気持ちよく毎日を送られるよう整える道。オスカルが歩いてるのは、国王陛下を、この国を守る道」
 オスカルはアンドレの肩から頭を起こし、幼いながらも美しい眉根をよせて彼を見た。
「こうしていっしょにいるのに、ぼくたちはちがう道を歩いてるっていうのか?」
 アンドレがだまってうなずくと、ふいと目をそらしてうつむいた。
「……さみしいな」
 アンドレも彼女から炎へと目をうつした。
 母を亡くしてジャルジェ家に来て以来、ひとつ年下の彼女とは片時も離れずきょうだいのように過ごしてきた。
 けれど彼らの間には、目には見えずとも越えがたい壁がある。
 年を重ねるほどに、その壁がどんどん強固になってくるのをアンドレは感じずにはいられなかった。
 でも———
「でもいっしょだよ」
 ぎゅ、と手をにぎると、青い瞳を軽くみはって彼を見た。
「歩く道がちがっても、そばにいることはできる。何があったって、ぼくはオスカルとずっといっしょにいる。そう決めてる」
「———うん」
 彼を見上げて、はじけるようにオスカルは笑った。
 花びらがこぼれるようだと、彼は思った。

 それからしばらく他愛のないおしゃべりをし、オスカルが眠そうにし始めたのを見計らって、やわらかな草地に彼女を寝かせた。
 焚き火の番をしながら、アンドレもうとうとと眠る。
 どれくらい眠った頃だろう。焚き火の炎とはちがう強い光をまぶたに感じ、アンドレは目を開けた。
 森の上に朝日がのぼっていた。
 松の枝や樅の葉が日光を浴び、まばゆいばかりの黄金色の光で世界は染まっていた。
 あたり一面、耳には聴こえない音楽が響き、足元の草からはあたためられたかぐわしい香りがたちのぼってくる。
 ぼうっとなって思わず眠っているオスカルを見やると、彼女の黄金の巻き毛は燃えるように輝きを増し、からだ全体も日の光を浴びて発光しているかのようだった。
 魅入られたようにアンドレが見つめていると、長い睫毛がふるえてもたげられた。
「わぁ……!」
 しばらく目を瞬いて黄金色に輝くあたりの様子をながめていたが、やがて跳ねるように飛び起きるとアンドレに抱きついた。
「すごいな!こんな朝焼けはじめて見た!おまえもだろ?ふたりでいっしょのはじめてだな!」
 飛びついてきたオスカルを支えるように抱きしめ、アンドレはその黄金の髪に頬をよせた。
「オスカル……ぼくは、ふたりで見たこの朝日を決して忘れない。いつか大人になっても、この朝日をきっとまたふたりで見よう。きっとだ……」
「うん……」

 遠くからふたりの名を呼ぶ大人たちの声が聞こえてきたが、ふたりはそのまま身じろぎもせず、森の朝日の魔法にとらわれていた。


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ベルサイユのばら二次創作第6作め。2021年2月20日UP。

初めての3,000字超え。今はiPadですが当時はまだスマホのフリック入力でちまちまと文章を書いており、かなり大変だったのを覚えています😅


『いつかふたりで見たアラスの朝日』

ぴんときた方もいらっしゃるかと思いますが、そう、アニメ版でオスカルさまが瀕死のアンドレの手を取って囁いていたあのアラスの朝日です。

このふたりとアラス、というとド・ゲメネ公爵との決闘騒ぎの後に謹慎中にふたりで訪れたアラスを思い出しますが、ここではもっと幼い頃のアラスでの思い出の朝日を捏造。

身分の差はあれど幼馴染、という甘酸っぱい設定にも関わらず原作ではふたりが子どもの頃のエピソードはあまり紹介されておらず、ここは想像の翼が広がりまくります。このふたり、アンドレがひとつ年上というのが重要なところなんですよね。子どもの頃の一歳差というのは大きい。身分は下なんだけどひとつ年上で優しくて頼り甲斐があって、安心して自分を委ねられる存在である男の子。けど離れ過ぎてはいない、絶妙な距離感。子どもの頃に培われた関係性は大人になっても変わらなくて、彼がいつも見守ってすべてを受け入れてくれているからこそオスカルさまは思いのままに自分の信じた道を進むことができる。信頼で結ばれた絆ゆえに、のちにそれが恋だと自覚するまでに長い長い時間を要してしまうのですが……。

時代が嵐を迎える前のほんのひとときの凪。ふたりで育んできた宝もののような時間を想像するのがとても好きです✨


次回は恋人どうしとなったふたりの甘々なお話です💖