その日、わたしがお仕えしているジャルジェ将軍のお屋敷は、硬く緊張した雰囲気に包まれていた。
 オスカルさま率いるフランス衛兵隊に、明日、出動命令が下ったという。
 世情に疎いわたしたち侍女にも、それが何を意味するのかおぼろげながらわかっていた。
 表向きは気丈に振る舞いながらも、時折奥さまが涙ぐむお姿を目にしていたし、だんなさまの圧し殺した嘆息を耳にすることも、一度や二度ではなかった。
 そんななか、当のオスカルさまだけが、ふだん通り淡々とした様子で過ごされていた。

 

「すまないが、湯を運んでくれないか?」


 晩餐のあと、オスカルさまから声をかけられた。


「お風呂をおたてしますか?」
「ああ。明日の出動にそなえて、身体を清めておきたいのだ。手間をかけさせて悪いけれど」
「お気になさいませんよう。すぐご用意致します」

 

  お部屋に運んだ浴槽の湯に身を沈めて、オスカルさまは深いため息をついた。
  ここしばらく少し青白くも見えた真珠色の肌があたたかい湯に包まれて色づき、魅惑的な薫りがたちのぼる。
  わたしはオスカルさまの背後にまわり、少しずつ湯をかけながら黄金色の髪を櫛梳る。
  濡れていっそう色を濃くした髪が蜂蜜のように波うち、白い肩を覆う。
  左の肩の少し下に、今ものこる薄い傷痕。
  もう何年も前、賊に襲われ剣を突き立てられた痕だ。
  このやわらかな肌を軍服に包んで、明日の朝には馬を駆って戦いの場に臨まれる。
  今こうして無防備に浴槽に身を横たえているこのひとが。
  とても現実のこととは思われない。

 

「……だろうか」

 

  突然、オスカルさまのつぶやく声がわたしを考えごとから呼び戻した。


「……えっ?申し訳ございません、今なんと……」


  あわてて問い返すと、なぜかうつむきよりいっそう小さな声でささやくように、オスカルさまはわたしに尋ねた。

 

「……わたしは、うつくしいだろうか」

 

  あっけにとられ、思わず手が止まった。
  うつくしいかだって?
  美の女神ヴェーニュスさえも裸足で逃げ出すような麗人が、今さらなにを言い出されるのだろう。
  笑おうとして、浴槽の前にある姿見を見つめるオスカルさまの真摯な視線と出会い、表情をあらためた。


「わたくしは、ジャルジェさまの前にもいくつかのお屋敷でそれぞれの令嬢がたにお仕えしてまいりました。ですが、オスカルさまほどのご麗質には、かつてお目にかかったことがございません」


  わたしとしては言葉を尽くしてオスカルさまのうつくしさに太鼓判をおしたつもりだった。
  が、オスカルさまはまた姿見から目をそらしうつむくと、さらに消え入るようにつぶやかれた。

 

「男性も、わたしをうつくしいと思うだろうか」

 

  はっとした。
  その声に、わずかな恥じらいと不安げな響きを聞き取ったからだ。
  ああ、この方は、恋をしておられる。
  と同時に、いつもオスカルさまの背後に控える黒い髪、隻眼の彼が脳裏をよぎった。
  すべてに得心がいった。
  ここ最近、ふたりの間に以前とはちがう空気がただよっていることに、うっすらと気付いてはいた。
  オスカルさまは常に彼の動向を気にかけ、彼は忙しい仕事の合間、前にもまして足繁くオスカルさまのお部屋へ通う。
  幼なじみとして育ったふたり、不安定な世状のなか、身分の違いはあっても軍隊に身をおく立場として、互いに支えあっているのだろう、と思っていた。
  それ以上の心の結びつきが、ふたりにはあったのだ。
  もしかしたら戦闘となるかもしれない日を明日にひかえて、恋するひとの目にご自分がどのように映るかを案じていらっしゃる。

 

「どんな男性だって、オスカルさまのおうつくしさには心を奪われます。オスカルさまを愛おしいと思わない男性など、この世にはおりません」

 

 ふいにオスカルさまが立ち上がった。
 シーツもまとわず床に滴を落としながら、姿見のなかの上気したご自分のからだに見入る。
 夜露に濡れた一輪の白いばらが、昇り始めた月の光を浴びてぼうっと発光しているかのようだ。
 しばらくして、長い睫毛をふせ、そっと微笑まれた。

 

「ありがとう」

 

 白い花弁の内奥に、ひそやかに紅がさした。

 

 

 

 

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二次創作第2作め。2020年12月13日UP。

愛するひととの初めての夜を前に、からだを清めて最高の自分でいたい、彼にうつくしいと思われたい、と願うオスカルさまの心を想像して書きました。

軍人としての凛々しいオスカルさまも好きですが、彼女が時折かいま見せるこういう女らしく可愛い側面にとても萌えます😍

このお話で初めてコメントをいただいて、すっごく嬉しかったのを覚えています。