涼宮ハルヒの声援 | I NEED A DRINK.com

涼宮ハルヒの声援







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 「人間が生まれてから死ぬまで、常に付いてくるものが二つある、それは影と後悔だ」と書いたのがどこの詩人だったかは忘れたが、とにかくそいつは歴史に名を残しているだけあって、やはりうまいことを言ったもんだなと痛切に思う。







 というのは俺も現実に今、人生で何度目になるか分からない強い後悔を体験しているからだった。カタログを見て安いからと、迂闊に手を出したのが失敗だった。世の中、タダより高いものはないというのは本当だな。いや、もちろんタダではないんだが。







 SOS団の皆も、「どうすんだこれ」といった具合で机の上のブツを見ている。







 つまり、ケブラーITRを。













 目の前に置かれたそれを拾い上げ、団長席から俺の傷心具合を温度計で測るような目をしたハルヒに向かってもう一度、先ほどと同じ動作を繰り返す。







 「丸見えね」







 我らが団長殿の返答はにべもない。







 「僭越ながら言わせていただくと、それはステージで使う道具なのではないか、と思います。クロースアップには少し不向きなのではないでしょうか」







 古泉がいつもの偽善者スマイルで所見を述べた。僭越だと思うなら黙ってりゃいいのに。







 「あなたの求める性質と、それの持つ性質に齟齬がある。対処方法はない」







 ハードカバーに目を落としたまま、長門がポツリと呟く。言ってくれるな。男には、たとえ駄目だと分かっていてもやらなきゃならないときがあるんだ。







 「あ、あのう…あたしには、その、ちっとも見えませんでしたけど」







 ありがとう朝比奈さん。俺の天使。「バッチリ見えてます」と顔に書いてあっても、その一言がどれほど俺を勇気付けてくれることか。







 「あと10メートルは離れなきゃ、視力が0.01を切っている人が裸眼で見たって気づくわ。夏服で上半身が白いシャツってのも大きなマイナス。光の加減も良くないのよ。もっと暗いところに行って、上着もみくるちゃん用に用意した学ランを着てみなさい」







 メモを取らなければどれかは抜け落ちてしまうであろう注意事項をずらずらと述べ、団長席から立ち上がったハルヒは窓際へと移行した。俺は衣装をかけてあるラックへと向かい、学ランを手に取る。おお、なんだかほんのり朝比奈さんの甘い香りが…。思わぬ役得だ。この機会に胸いっぱいに吸い込んでおくか。すーはーすーはー。







 「なに変な顔してんのよバカ。いいからそれ着て、早くドアのところに立ちなさい」







 へいへい。これでいいか。







 「そう。それじゃさっきと同じように、お札を宙に浮かせてみなさい」







 ハルヒに言われたとおり、俺は先ほどまで見せた動作を繰り返す。リールから糸が伸び、まるでクモが獲物を捕らえるように、お札を空中に留めた。窓際に腰掛けていたハルヒがニヤリと笑うと同時に立ち上がり、距離を詰めてくる。手を伸ばせば触れ合いそうな位置で足を止め、満足げに頷いた。







 「うん、ここでギリギリ見えるかなってところね」







 その後ろから、朝比奈さんと古泉も口々に言う。







 「すごーい、本当に見えませんよ!」







 「これはこれは。実に見事です。超能力者みたいですね」







 朝比奈さん、てことはやっぱりさっきのは見えていたんですよね。古泉、お前が言うな。







 相変わらずハードカバーに目を落としたままの長門は、先ほどと全く変わらぬ口調だった。







 「通常の人間にとって、この状況下での服と糸の判別は困難」







 俺は自分の手元を見下ろした。先ほどまでもうこれは蔵に入るしかないと思っていた道具が、輝きを取り戻している。やったのはもちろん、







 「ん?なにニヤニヤしてこっち見てんのよ!」







 こいつだ。涼宮ハルヒ。







 「いや…ありがとな」







 俺はそう口に出していた。だってそうだろう?誰かに何かをしてもらったとき、そんでもってそれに感謝したいときは、素直にお礼を言うもんだ。







 その言葉が耳に入った途端、ハルヒは耳まで赤くしながらそっぽを向き、怒ったような口調で







 「使われなくなっちゃう道具がかわいそうなだけよ!別にあんたのためじゃないわ!でも、これで使えるでしょ。この道具だって、長年変わらずこの形なんだから、みんなちゃんと使ってきたの。誰もが通った道なんだから、あんただって出来なきゃ駄目よ」







 そんなことを言いながら、ぷいと背を向けてのしのしと歩き、指定席にどっかと腰をかけた。この反応が実に、ハルヒらしい。







 




 「そうだ!」







 それからしばらく、黙々とお札を宙に浮かせていた俺は、このハルヒの大音声によって心臓が宙に浮くかという衝撃を味わった。マジで口から出るんじゃないかと思ったほどだ。







 見ればこやつ、電球が頭の上で輝いたかのような表情をしている。こういうとき、この全自動迷惑製造機の口から出る言葉が、なにか世間様の役に立ったことなど一度もない気がするのは、決して俺だけではないはずだ。







 「次回のクリスマスパーティで、今度はもっと派手なもの浮かせましょうよ!」







 ほーらな。







 「もちろんトナカイの衣装着用よ!今度はお札なんてチャチなものじゃなく、どーんといっちゃいましょう!そうね!サンタのみくるちゃんを浮かせるぐらいのことはしないとね!だってそれ、世界一頑丈な糸なんでしょう」







 お前な。これは確かに太くて丈夫だが、いくらなんでも人を浮かせるまでは行かないだろ。もうちょっと考えてから物を言え。







 「可能。ただし角度と力の方向性に関しての微細な調整、および相応の力を必要とする。奇術として見せるのは難しい」







 指先だけを動かしながら長門。おいおいマジか。俺は思わず手元の小さなプラスチックの塊を見る。







 「あ、あたし、浮かされちゃうんですか…?」







 朝比奈さんがおびえた声を出す。大丈夫ですよ朝比奈さん。あなたを吊るすくらいなら俺はハルヒを吊ります。暴れて落っこちる様子が目に浮かぶようですが。







 「是非見たいですね」







 このイエスマンめ。俺が送っている抗議の視線などどこ吹く風、古泉は実に涼しそうな顔をしている。







 「とりあえず小さなものから練習して、徐々に大きくしていきましょう。最終的には、どんなものでも浮かせられるようになっているはずだわ」







 どこの忍者映画の知識だそれは。思わず突っこみそうになる俺を振り払うようにハルヒは立ち上がり、びしぃっ!とあさっての方向を指差した。







 「さ、キョン。そうと決まったらやるわよ!あんたもこれでプロマジシャンの仲間入り!喜びなさい!」







 その太陽のような笑顔を見て、俺はひっそりとため息をついた。













 やれやれだ。














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