2020年4月11日の三重県伊賀上野散策の続き。
「愛染院」の中にある松尾芭蕉ゆかりの「故郷塚」をお参りした後は、「芭蕉翁生家」に向かいました。
愛染院・故郷塚(その2)のレポ
「愛染院」の門前傍に、国道163号線唐人町交差点がありますので、伊賀上野城方面に少し進むと、昔ながらの御宅が見えて来ます。
その御宅の前には、「芭蕉翁誕生之地」と刻まれた石碑があって…
この御宅が「芭蕉翁生家」。
芭蕉翁は、正保元年(1644)ここで生まれました。父は与左衛門、母は藤堂宮内の移封に従い伊予国宇和島から名張に随従して来た桃地氏の女と伝えられ、与左衛門夫婦には三男四女があり、長男は平左衛門命清(のりきよ)、次男は後の芭蕉翁で、幼名を金作、長じて宗房を名乗り、他に通称を甚七郎、別に忠右衛門と言いました。
芭蕉翁が19歳の頃に仕えた藤堂藩伊賀附の侍大将藤堂新七郎家の息主計良忠は蝉吟と号して、北村季吟門に俳諧を学んでいて、俳諧好きの芭蕉翁は新七郎家の文芸サロンにも一座するようになり、めきめきと頭角を現し、その集大成とも言うべきものは、処女撰集め「貝おほひ」の版行でした。
生家の後園に建つ釣月軒は若き日の芭蕉翁の書斎で、ここ「貝おほひ」を編み、寛文12年、産土神である「上野天神宮(上野天満宮)」に奉納し文運を祈願、その春に江戸へと赴きました。
生家の玄関の扉には張り紙が…「芭蕉翁生家の改修のお知らせ」。
な、なんと!この日は改修工事の為、見学できず…涙
2022年4月1日より公開を開催しているとのことで、2023年3月末には庭園の整備も完了しているそうです(観覧料300円)
「芭蕉翁生家」を今一度…
「芭蕉翁生家」の前の路地、奥に進んでみると…
道幅が急に広がる場所があるんですが…
その空間、上の写真の右手に石碑がありました。文政6年の銘と、「左 東海道…」と刻まれていますので、道標なんですね♪
反対側からも…いいですね~♪
道標の先の道は、右に急カーブしていて…
その曲がり角まで進んで…この先は、東海道に繋がっているんですね。
キレイに咲いていました~♪
ここで、芭蕉翁生家の前の路地に戻って…
国道163号線を渡り、路地を進んで行くと、左手にお寺があります。
門前には「不許葷酒」と刻まれて石碑があって…禅寺になるんですね。
こちらは「妙華禅寺」。
松尾芭蕉の門弟俳人 瓢竹庵主 岡本苔蘇の墓があるんですね。
門の所から境内を…
門前の路地を更に南に進みます。
右手に祠が…お地蔵さまがいらっしゃいました。
大和街道に沿って路地を右折して、伊賀鉄道 広小路駅に…こちらも桜がキレイでした♪
大和街道の突き当たりには、「縣社菅原神社」という石碑と、句碑がありました。
「粧へる 伊賀の山並み 鉾進む 干柿」(杉森干柿)
句碑の近くにある鳥居。扁額には「天満宮」とあります。
鳥居をくぐると、朱の鳥居が並んでいて…
朱の鳥居をくぐると、朱の御社が!提灯に「高原稲荷神社」とありました。
御社の手前には、お稲荷さん。
反対側のお稲荷さんも…
「高原稲荷神社」の隣にも、鳥居があります。扁額には「鎮霊社」とあって…
「鎮霊社」の御社。
「鎮霊社」の由緒書き。明治以来の戦争の戦没者の英霊を祀っているんですね…
「松尾芭蕉翁生家」から「旧大和街道道標」を見学し、「妙華寺」「高原稲荷神社」と回った後は、「上野天神宮」に向かいました。
その様子は、また後日。
芭蕉翁生家
三重県伊賀市上野赤坂町304
旧大和街道 道標
三重県伊賀市上野赤坂町335-4
妙華寺
三重県伊賀市上野農人町398
高原稲荷神社
三重県伊賀市上野東町2929(菅原神社・上野天満宮)
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