横浜赤レンガ倉庫と、横浜税関と、鉄軌道と転車台と ~神奈川県横浜市の史跡・歴史的建造物 | 九州下町おやじの珍道中

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2021年2月下旬の横浜・みなとみらい21散策の続き。

 

汽車道」から「赤レンガ倉庫」を横目に、パシフィコ横浜に行き、「ハンマーヘッドクレーン」「旧横浜港駅プラットホーム」を見学した後は、「赤レンガ倉庫」に向かいました。

 

 

赤レンガ倉庫・パシフィコ横浜・ハンマーヘッドクレーンのレポ

 

 

 

 

 

横浜赤レンガ倉庫」が見えて来ました♪

 

 

 

 

2棟あるんですね、赤煉瓦倉庫は…知らなかった…汗

 

 

 

 

横浜赤レンガ倉庫」は、商業施設として利用されていて、2つの棟の間の通路を進んで、じっくりと…いいですね~レンガ建物♪

 

 

 

 

建物中央の塔屋のようなデザインがステキ~♪

 

 

 

 

建物の端からも…かなり大きな煉瓦建物になるんですね。

 

 

 

 

由緒書き「赤レンガ倉庫

東洋で初めて築造された近代埠頭である「新港埠頭」に輸出入される貨物を税関が管理する倉庫として、国によって建設されたもので、耐震・耐火構造を採用した当時最新鋭の倉庫でした。

 

 

 

創建時から戦前までは横浜税関が管理し、葉煙草、羊毛、光学機器などの輸入品を取り扱っていましたが、戦時中は陸海軍の輸送司令部が管理し、戦後は米軍の港湾司令部として利用され、米軍の接収解除後は、1号倉庫を横浜税関が、2号倉庫を横浜市がそれぞれ管理していました。

海上貨物のコンテナ化とともに次第に取扱量が減少し、平成元年に倉庫としての用途は廃止。

横浜市では、貴重な歴史的建造物として保存し、「港の賑わいと文化を創造する空間」として活用する為、平成4年に国から取得し、保存・活用工事を進め、平成14年4月に商業・文化施設としてオープンしました。

 

 

赤レンガ倉庫と言えば、「あぶない刑事」を思い出しますね~♪

 

 

 

横浜赤レンガ倉庫」から、JR関内駅方面に進むと、鉄橋が見えて来ました。

 

 

 

 

その鉄橋に近づいて…人道橋なんですね♪

 

 

 

 

リベットがステキ~♪

 

 

 

 

この橋は「新港橋梁」。渡って振り返って…こちらも2本のライン、線路のようなものがありますので、鉄道橋だったんですね。「横浜臨港線」の線路が続いていたんですね~

 

 

 

 

新港橋梁」を渡ると、正面に古そうなビルが見えて来ます。

 

 

 

 

こちらは、横浜税関

 

 

 

 

横浜臨港線の線路跡が、「山下臨港線プロムナード」という遊歩道になっていますが、それに沿って進んで…

 

 

 

 

広場のような空間に、由緒書き「横浜税関遺構 鉄軌道と転車台」がありました。

明治33年(1900)に発行された「横浜税関一覧」の付図には、横浜税関の上屋や倉庫の背後に、縦横に走る鉄軌道(線路)やその交差部に設置された転車台(ターンテーブル)が描かれています。

 

 

 

これらの鉄軌道や転車台は、概ね明治20年代後半に整備され、明治40年代の写真には、鉄桟橋(現在の大桟橋)方向に向かって敷かれた鉄軌道、転車台、鉄軌道の上を走る台車状の車両が写っています。

鉄軌道の幅員は1.06mあり、我が国の一般的な鉄道の車軸幅と同じです。

転車台は、鉄部の直径が約2.5mあり、この大きさでは回転できる車両の規模も限られることから、発見された鉄軌道は敷地内で荷役作業を行うために設けられたものであると考えられます。

当時の工事記録によれば、当初は、鉄桟橋からの鉄軌道は税関敷地内を通って、海岸沿いに大岡川河口部に至り、横浜停車場(初代の横浜駅、現在の桜木町駅)に連絡するけいかくであったようです。

 

 

 

由緒書きがある広場の地面には、ガラスをはめ込まれていて…

 

 

 

 

硝子の中を覗くと…転車台の遺構のようです♪

 

 

 

 

こちらにも…見にくいのは残念ですが、こうして遺構が残っているのは、嬉しいな~♪

 

 

 

 

由緒書き『「海の日」の由来

明治9年(1876)明治天皇が東北巡幸の帰途、船で青森を出発し、函館を経由、7月20日に横浜に帰着。横浜毎日新聞(明治9年7月22日号)の記事には、相州金田沖(現在の横須賀市金田湾沖)を航行、その後、艀に乗り換えて大波止場(現在の象の鼻地区)に上陸したと記されています。

 

 

 

使用された船は「明治丸」。明治7年(1874)英国グラスゴーの造船所で造られ、翌年横浜に回航された気帆船で、就航当初から天皇の御乗船(ロイヤルネット)としても利用されていました。現在は復元整備され、重要文化財として、東京海洋大学構内に保存されています。

海の記念日」は、この7月20日に因んで、昭和16年(1941)に制定されました。

国民の祝日である「海の日」は、平成8年(1996)「海の記念日」を踏襲し制定されました。平成15年(2003)の祝日法改正により、7月第3月曜日が「海の日」となりました。

 

 

 

由緒書き「横浜税関(神奈川運上所)

安政6年(1859)幕府は開港の為に神奈川奉行所を設け、通関事務の他、船の入出港手続き、洋銀両替、各国領事との交渉、違法行為の取り締まりなど幅広い業務を取り扱ったのが「神奈川運上所」で、運上所の庁舎は波止場の中央正面に建てられていました。

 

 

 

明治4年(1871)通関業務などが大蔵省の所管とされ、明治5年(1872)には全国の運上所の名称が「税関」に統一されました。

明治6年(1873)「横浜税関」となってからの初代本庁舎が初代運上所の建屋があった位置よりやや海側に石造3階建てで建設され、明治16年(1883)にはこの庁舎は神奈川県に譲渡。

明治18年(1885)中央に塔を配した煉瓦造2階建ての2代目本庁舎が建設されました。

大正12年(1923)関東大震災により横浜港の港湾施設が壊滅的な被害を受け、昭和9年(1934)現在の3代目本庁舎が建設され、この庁舎にそびえる高さ51mのエキゾチックな塔は一般に「クイーンの塔」と呼ばれ、今も広く親しまれています。

 

 

先程の「横浜税関庁舎」は、昭和9年に建設された3代目の庁舎になるんですね♪

 

 

 

横浜赤レンガ倉庫」から「横浜税関」の脇を抜け、「鉄軌道と転車台」を見学した後は、

神奈川県庁」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

横浜赤レンガ倉庫

神奈川県横浜市中区新港1-1

 

 

 

 

横浜税関

神奈川県横浜市中区海岸通1-1

 

 

鉄軌道と転車台

神奈川県横浜市中区海岸通1丁目 象の鼻パーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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