2020年5月中旬に、旧東海道歴史散策の続きをして来たんですよね。
その2週間前に、旧東海道・美原通りを通り、「美原不動尊」をお参りした所まで行きましたので、その続きとなります。
美原通り・美原不動尊のレポ
前回の散策で、見学できなかった所がありましたので、まずは、ここから。「蜜厳院」。
門前には、ありがたいお言葉が♪
門前には、由緒書き「庚申供養塔」があって…
石造舟型で阿弥陀如来像を彫った庚申供養塔で、寛文2年(1662)のもの。大田区では2番目に古く、法界定印を結ぶ弥陀の坐像を彫った庚申供養塔は、全国的にも稀と言えます。
その隣には、由緒書き「地蔵菩薩立像 (俗称お七地蔵)」があります。
江戸大火(天和2年・1682)を引き起こした八百屋お七の霊を慰めるため建立されたと、伝えられていて、この事件は当時、井原西鶴の「好色五人女」に描かれ、その後も、浄瑠璃などで人々に親しまれました。
お七の刑死は天和3年(1683)3月29日で、台石銘文の貞亨2年(1685)4月24日は、その三回忌に当たります。
建立者は小石川村百万遍仏講中。
本像はもと鈴ヶ森刑場に建てられていましたが、ある日、一夜にして当寺に飛来したという伝説があります。
この由緒書きにある2つの石像を、前回散策では見られなかったので、今回も訪問した次第です。
山門をくぐると、「無限 寿楽塚」があって…
その隣には、無縁仏供養塔が…
太子殿と、その建立記念碑。
境内を進むと、お地蔵様がいらっしゃって…
中央のお地蔵様が、八百屋お七を慰霊する為に建立されたと言われるお七地蔵になるんですね。千羽鶴がお供えされていて、今でも供養されている様子がよく分かります。
お七地蔵の隣、向かって左に、先程の由緒書きの「庚申供養塔」が…
背面の舟形が結構大きいですね~
向かって右には、小さな石仏がいらっしゃいました。
お七地蔵の覆い屋の隣には、森本霊神がお祀りされていて…
その横には、南無遍照金剛。
境内を進むと、近代的な御堂が!
境内は更に奥へと続いていました。
鬼瓦。
上部が丸い墓石が並んでいますが、こちらは歴代住職の墓石のようです。
「蜜厳院」の裏手から出ると、すぐお寺の御堂が見えて来て…「最徳寺」の本堂になりますね。
「最徳寺」は前回お参りしているので、今回は立ち寄らず…
最徳寺のレポ
「最徳寺」から第一京浜国道に出て、東海道を南下。
途中、左に分岐する道・美原通りに入ります。この美原通りが旧東海道になりますね。
旧東海道・美原通りを進むと、左手に大森スポーツセンターが見えて来ますが、この地は、かつての魚市場跡になります。
大森スポーツセンターの前には、「旧東海道」の石碑があって…
旧東海道である美原通りを南下します。
この辺りは、海苔問屋さんが何軒も並んでいて、シャッターには、浮世絵が描かれているんですよね~面白い♪大森は、海苔養殖業の発祥の地ですもんね。
美原通りを更に進んで、「美原不動尊」。
更に、旧東海道を南下して…
環七通りを渡ってから、左手の路地に入って行くと、「津島神社」があります。
境内に入るとすぐ左手に、お百度石があって…
手水石。
境内を進んで、石碑や石灯籠が並んでいて…
「藤重霊神 伊藤霊神」という石碑も…
「津島神社」の社殿。
「蜜厳院」で「お七地蔵」をお参りし、美原通りを進んで「津島神社」をお参りした後は、「海難供養塔」に向かいました。
その様子は、また後日。
蜜厳院(お七地蔵)
東京都大田区大森北3-5-4
美原不動尊
東京都大田区大森本町2-1-8
津島神社
東京都大田区大森東1-8-15
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