中村史跡群と、中村大神宮と、中村招魂社と、中村高校と ~高知県四万十市の史跡・神社・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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201911月26日の愛媛県宇和島市・高知県四万十市中村の歴史散策の続き。

 

中村城跡」を見学した後は、「中村高校」に向かいました。

 

 

中村城跡(為松城跡)・為松公園のレポ

 

 

 

 

中村城跡(為松城跡)」である「為松公園」から坂道を下ると、史跡案内板がありました。この辺りには、「中村史跡群」ということで、いくつも史跡があるんですね♪

 

 

 

案内マップに従って進んで行くと、「中村目代屋敷跡」という石碑があって…

 

 

 

その並びには、「西小路氏土居跡」という史跡案内板がありました。

西小路氏は、戦国時代中村を治めていた土佐一条氏の一門と伝えられ、一条氏消滅間もない頃の長宗我部検地帳にその屋敷が「西小路御土居」と敬称されています。

 

 

山田村(宿毛市山奈町)龍王社鰐口銘に、長享申年(1488)と願主西小路藤原房行とあり、西小路房行は年代的に土佐一条氏初代一条房家の兄とも思われます。

西小路氏は、宿毛市東部に約25haの給地を持ち、土佐一条氏の重臣の一人でした。

 

 

 

更に中村史跡群のある路地を進みます。

 

 

 

すると、「安岡良亮邸跡」という案内板があって…

安岡良亮は、幕末の志士、地方官。樋口真吉に従って国事に奔走、慶応3年(1867)薩土密約に参画。明治2年(1869)戊辰戦争に出征し、捕縛された近藤勇谷干城らとともに斬罪処したと伝えられています。

 

 

維新後新政府に仕え、熊本県令となり、佐賀の乱に際しては、熊本士族の動揺を鎮めるなど良政を施しましたが、明治9年、神風連の挙兵に際し、斬られて亡くなりました。享年52歳。

 

 

 

更に進むと、「木戸明游焉塾跡」と刻まれた石碑があります。

 

 

 

その並びには「木戸明邸跡」という史跡案内板があって…

木戸明は、天保5年(1834)年、幡多屈指の資産家吸田家の3代目廣之助の子として生まれ、嘉永4年(1851)学問の道を志して京へ上り、帰郷後「游焉塾(ゆうえんじゅく)」を開きました。

その後、中村尋常中学校の開校とともに招かれ、ついでに高知中学、第四中学中村分校の教職の間も「游焉塾」を続け、多くの人材を輩出しました。

大正5年(1916)83歳の生涯を終えました。

 

 

 

更に路地を進むと、鳥居が見えて来ます。こちらは「中村大神宮」。

 

 

 

鳥居の脇には、「中村小学校旧校舎跡」という石碑もあって…

 

 

 

鳥居をくぐり、手水所。

 

 

 

境内を進んで、二つの鳥居。

 

 

 

その鳥居をくぐり、社殿。

 

 

 

境内には、摂社もありました。

 

 

 

中村大神宮」の横には、もう一つ鳥居があるんですよね。

 

 

 

鳥居をくぐって、社殿。こちらは、「中村招魂社」。

 

 

 

中村招魂社」の隣の駐車場の前には、「行余館跡(藩校跡)」という史跡案内板があって…

安政2年(1855)土佐藩は、この地に学校を開設し、名称も文武館敬止館と変わり、後に行余館と称し、教科は漢字、習字、弓術、砲術、槍術、剣術、練兵等。

 

 

明治5年の学制の発布まで存在していましたが、学制発布後は中村小学校となりました。

最も盛んだったのは明治初年頃だったようで、館の振興には樋口真吉安岡良亮などが大きく貢献しました。

 

 

 

更に路地を進んで…「中村山内家屋敷跡 幡多郡奉行所跡」と刻まれた石碑があって…

 

 

 

その横には、史跡案内板「中村山内家土居・幡多郡奉行所跡」がありました。

慶長6年(1601)山内康豊は幡多に2万石の知行地を与えられ中村に入り、土居に入り居住しました。

 

 

中村山内家は2代山内政豊良豊)で絶え、代わって寛永7年(1630)山内忠直が新たに3万石を知行されて中村土居に入りましたが、明暦2年(1656)忠直の知行地は藩として幕府に公認され、ここに中村藩が成立しました。

元禄2年(1689)高知本藩に吸収され廃藩となったため、中村土居は幡多奉行所となり、郡奉行が駐留する所となって幕末に至っています。

 

ここ中村は、一時期、中村藩となっていたんですね。

 

 

 

その近くには、中村中学校・中村高校がありました。

中村高校と言えば、高校野球・甲子園で名を馳せましたね~選手12人で準優勝を果たしたので、とても印象に残っていますので、立ち寄ってみました(^^)

 

 

 

中村中学校・中村高校から一本東の路地を南に戻るように進みます。

突き当たりに、史跡案内板があるんですよね。

 

 

 

案内板に近づくと…「よこ町跡」とあります。

 

 

 

おまけ。四万十市のマンホール蓋。旧中村市のマンホール蓋になりますね。

上部に藤の花、下部には鮎がデザインされているようです。

 

 

 

中村史跡郡」「中村大神宮」「中村招魂社」「中村高校」と回った後は、「一条房基供養墓」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

中村目代屋敷跡

高知県四万十市中村丸の内4付近

 

 

西小路氏土居跡

高知県四万十市中村丸の内4付近

 

 

安岡良亮邸跡

高知県四万十市中村丸の内11付近

 

 

木戸明邸跡

高知県四万十市中村丸の内13付近

 

 

中村大神宮

高知県四万十市中村丸の内15

 

 

中村山内家土居・幡多郡奉行所跡

高知県四万十市中村丸の内22

 

 

中村中学校・中村高校

高知県四万十市中村丸の内24

 

 

よこ町跡

高知県四万十市中村桜町2-25付近

 

 

四万十川りんりんサイクル

 

 

 

 

 

 

 

 

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