2020年9月28日の宇治・石清水八幡宮・淀城跡の歴史散策の続き。
「平等院鳳凰堂」の続き。
平等鳳凰堂(その1)のレポ
「浄土院羅漢堂」の境内には、「太敬菴通圓の墓」があります。
その由緒書き「通圓家 太敬庵通圓の墓」。文字が読みにくい…(涙)
通圓家の初代は古川右内と言い、源頼政の家臣で、頼政から「政」の字を賜って、太敬庵通円政久と名乗り、宇治橋の東詰に庵を結びました。
治承4年(1180)頼政が以仁王を奉じて平氏打倒の兵を挙げると、馳せ参じて宇治橋の合戦で平家軍と戦い、討ち死にしました…
この主従関係を物語った狂言として「通圓」があります。
その横には、南無阿弥陀仏と刻んだ石碑もあって…
古そうな宝篋印塔。
「源三位頼政遺跡の碑」
ここ「平等院」は、源頼政ゆかりの地なんですね。
「浄土院羅漢堂」から、再び鳳凰堂に沿って境内を進みます。
鳳凰堂を間近で見られるのは、嬉しいな~♪
一回りしました。
一回りした地点に、「不動堂」があって…。「源三位頼政公墓所」ともあります。
門をくぐり、不動堂を…
不動堂には、不動明王が安置されています。当たり前か(笑)
不動堂の横にも、御堂があって…
中には、池殿地蔵尊が安置されています。
池殿地蔵尊の奥には、木々に囲まれた空間があるんですよね…
こちらは「源三位頼政公の墓 宝篋印塔」。
源頼政は、保元・平治の乱で武勲を挙げ、平清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられ、歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。
治承4年(1180)5月26日、平家追討の兵を挙げた源頼政公は、宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました。享年76歳。
辞世
埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける
そうか、源頼政公は、ここ平等院で自刃したのでしたね…
源頼政の墓石に近づきます。
「源三位頼政公の墓 宝篋印塔」をアップで…
墓石の前には、苔生した石灯籠が…
不動堂の隣には、「最勝院」があります。
「最勝院開祖澄栄師之碑」と刻まれた石碑。
「春日社 石灯籠」の由緒書きのようなのですが、全く読めませんでした(涙)
「最勝院」の堂宇。
この後、鳳凰堂の内部拝観の時間になりましたので、鳳凰堂内部を見学。
写真撮影禁止です…
ご本尊の阿弥陀如来坐像を、間近で、じっくりと見ることができて、本当に感激!
素晴らしい仏像ですし、鳳凰堂自体も、本当に素晴らしいものでした(^^)
藤棚。
藤棚の後ろ側、表門に近い場所にある堂宇。
その堂宇の前には、松の木が植えられたスペースがあります。
こちらは、「扇之芝」。
治承4年(1180)源頼政公は、高倉宮以仁王を奉じて平家追討の兵を挙げましたが、宇治川にて平知盛の大軍に追撃され、流れ矢に傷ついた頼政公、軍扇を開き、「埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける」と辞世の一首を残し、この地で自刃してと伝えられています。
先程の堂宇を別角度から…
最後に、「平等院鳳凰堂」を今一度…
念願の「平等院鳳凰堂」。やっと参拝できました(^^)
見事な堂宇と、素晴らしい仏像。国宝、世界遺産。素晴らしい訳ですね。
「平等院鳳凰堂」をお参りした後は、宇治川を渡り、「宇治神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
平等院
京都府宇治市宇治蓮華116
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