2020年9月21日の福岡県大川市・佐賀市諸富町・川副町・福岡県柳川市の歴史散策の続き。
「旧国鉄佐賀線筑後若津駅跡」を見学した後は、「筑後川昇開橋(旧国鉄佐賀線筑後川橋梁)」を渡りました。
旧国鉄佐賀線筑後若津駅跡のレポ
「筑後川昇開橋」を渡ります。
真っ赤な鉄骨がいい味わいですね~♪
リベット♪
青空に映えますね~♪
おお!この補強方法は…
昇降部に到着。係の方がいらして、橋梁の上げ下げを間近で見せてくれるんですよね♪
橋が上がって行きます♪
裏側が見えて来ました♪
なかなか見ることのできない光景。目の前で見られて、幸せ♪
塔屋部を見上げて…
下りて来ましたので、再び渡ります。
昇降部に足を踏み入れて…
塔屋部分。かなりの高さがありますね。
筑後川の下流方向を眺めて…この先に、「デ・レイケ導流堤」があるんですよね。
昇降部分を渡り終えて…
「筑後川昇開橋」を更に、進みます。
振り返って…
「筑後川昇開橋」を渡り終えて、再び振り返って、パチリ。
由緒書き「旧筑後川橋梁(筑後川昇開橋)」。
旧国鉄佐賀線の鉄橋として昭和10年5月に竣工しましたが、急流の中に船の航行を容易にするため、昇降式可動橋を取り込み架設されています。
全体で約507m、鉄塔の高さは約30m、可動桁の長さは約24mで、東洋一の規模を誇り、現存する可動橋としては最古のものと言われています。
昭和62年3月の国鉄佐賀線の廃止とともに鉄道橋としての使命を終える処となりましたが、地元住民の愛着と郷愁の念は止み難く、諸富町・大川市が相携えて、歴史的資源・地域発展のシンボルとしての保存運動が実り、平成8年、遊歩道として生まれ変わりました。
平成8年、国の登録文化財第一陣に登録され、平成15年、国指定重要文化財に指定されました。
「筑後川昇開橋」を渡った所には、諸富駅の駅名標が置かれていて…筑後川の佐賀県側には、「諸富駅」があったんですね!
踏切と分岐器も置かれていました。
その先は、階段…
振り返ると、路上に2本の線が描かれていますが、旧国鉄佐賀線の線路跡をイメージしているんですね。
「徐福之像」
「徐福」とは、紀元前210年、中国・秦始皇帝の命により、3,000人の童男・童女と百工(技術者)、五穀の趣旨を携え不老不死の仙薬を求めて蓬莱の国へ渡って来た人であり(司馬遷「史記」)、求めていた仙草を佐賀県金立山で発見したと言われています。
「その2」に続く。
筑後川昇開橋(旧国鉄佐賀線筑後川橋梁)
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