2019年11月27日の高知県高知市・徳島県三好市阿波池田の歴史散策の続き。
「近藤長次郎邸跡」「水天宮」「水丁場の標柱」「日根野道場跡」「龍馬の生まれたまち記念館」「秋葉神社」と回った後は、「称名寺」に向かいました。
近藤長次郎邸跡・水天宮・水丁場の標柱・日根野道場跡・龍馬の生まれたまち記念館・秋葉神社のレポ
「秋葉神社」から路地を東に進み、すぐの信号を右折し、またすぐの信号を左折して、東に進んで行くと、左手に「称名寺」があります。
境内を進み、御堂。
境内には、「紫花人形作家記念碑 中平美津子先生」と刻まれた石碑があって…。
「遊行上人之墓」と刻まれた石碑も…
延命と刻まれていますので、延命地蔵尊のようです。
石祠もあって…。
称名寺の道路を挟んだ向かい側には、当寺の駐車場があるんですが、その左端に石碑があります。
その石碑には、「馬場辰猪先生誕生之地」と刻まれています。
「馬場辰猪」の由緒書き。自由民権家。慶応義塾に学んだ後、イギリスに留学。在英中に英文で「日米条約論」を著わし、帰国後、自由民権運動に参加、明治18年爆発物取締規制違反容疑で検挙されましたが、翌年無罪放免され渡米。フィラデルフィアで客死しました。
「称名寺」から更に東に進んで行くと、左手に「カトリック中島町教会」が見えて来ます。
聖堂の入口。上部のステンドグラスもステキです♪
御御堂の中に失礼して…
側面の壁のステンドグラス。
祭壇に近づいて…
祭壇横には、マリア様と…
イエス様がいらっしゃいました。
祭壇の前から、聖堂を…
「中島町カトリック教会」から南に進み、突き当たりを左折、暫く進むと、右側に広場があるんですよね。
その前には、「高知城下 町名今昔 旧 鷹匠町」があります。
江戸時代、御鷹部屋が置かれ、鷹匠が住んでいたことに由来する地名で、中老や御馬廻などの武士が多く住んでいました。
藩主の下屋敷・散田邸があり、幕末に薩摩藩主の命を受け来国した西郷隆盛と山内容堂が会見しました。
明治維新後は、山内家の本邸となりましたが、現在残っているのは下屋敷長屋(国指定重要文化財)のみです。
この広場のような空間は、「山内容堂公邸跡」。先程の「鷹匠町」の由緒書きにある通り、山内家の下屋敷跡で、明治になって本邸になった場所なんですね。
「山内容堂公邸跡」の東側、道路を挟んだ向かいには、古そうな建屋があって…。
ずいぶんと横に長い建物ですね。
こちらは、「高知市旧山内家下屋敷長屋展示館」。元治元年(1864)16代藩主山内豊範公が家臣の屋敷を召し上げて下屋敷を建設した時に建てられたものと推定され、地名から「散田邸」と呼ばれていて、慶応3年(1867)西郷隆盛が薩摩藩の島津久光公の使者として前藩主山内容堂公に会見し、上京して国事に奔走するよう献言した場所です。
明治4年から山内家の本邸として拡張されましたが、戦災やその後の火災等で焼失し、門と長屋と庭園を残すのみとなっています。
この地で、山内容堂公と西郷隆盛が会合したんですね。
長屋に近づくと、由緒書き「重要文化財 旧山内家下屋敷長屋」があって…
その横には、「山内容堂 西郷南洲 会見の地」という由緒書きもありました。
容堂公は、当邸内物見座敷此君亭に、土佐藩士福岡孝弟を従えて、西郷隆盛と薩摩藩士吉井友実と会見しました。
「高知市旧山内家下屋敷長屋展示館」に入ります。
入館料は無料。
ただ、撮影禁止ですので、写真はありませんが、昔の御屋敷の長屋がこうして残っていて、間近で見学できるのは、本当にありがたいな♪
内部の見学を終えて、南に向かって、道路を進みながら、旧山内家下屋敷長屋をじっくりと…
道路が坂道になっていたので、鬼瓦も結構間近に見えました♪
「旧山内家下屋敷長屋」を南側から、今一度…
「称名寺」「カトリック中島町教会」「山内容堂公邸跡」「旧山内家下屋敷長屋」と回った後は、「山内神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
称名寺
高知県高知市升形8-19
カトリック中島町教会
高知間高知市鷹匠町2-1-33
山内容堂公邸跡(鷹匠公園)
高知県高知市鷹匠町2-4
高知市旧山内家下屋敷長屋展示館
高知県高知市鷹匠町1-3-35
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