中村公園・豊国神社(その1)~豊臣秀吉誕生の地 ~愛知県名古屋市の史跡・神社・公園 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年6月中旬に、仕事でまた名古屋に出かける用事があったので、少し早めに移動して、歴史散策をして来ました。

 

 

今回向かったのは、「中村公園」。

地下鉄東山線の中村公園駅で下車し、改札口を出ると、な、なんと!豊臣秀吉公がお出迎え!(笑)

 

 

 

加藤清正公も!

 

 

 

前田利家公に…

 

 

 

前田慶次も…

 

 

 

徳川家康公もいらっしゃって…

 

 

 

織田信長公にも、お出迎え頂きました(笑)

 

 

柱に、ご当地ゆかりの武将に扮した「名古屋おもてなし武将隊」が「中村公園」への出口の案内する広告が掲示されていて、なかなか面白いな~♪

 

 

 

名古屋おもてなし武将隊」にご案内頂き、3番出口に向かいました(笑)

 

 

 

3番出口を上がると、朱の大鳥居があるんですが、写真に納まらなかったので、一旦、御踊りを渡って、パチリ。この位置には2番出口がありましたので、ここを上がれば良かったかも…目的地の「中村公園」「豊国神社」に向かうには、3番出口が最適ですけどね。

 

 

 

朱の鳥居をくぐると、豊臣秀吉公の由緒書きがあって…。

 

 

 

福島正則公の由緒書きも…。尾張国海東郡(現あま市)出身で、幼名は市松。母が秀吉公の叔母であったとも言われ、幼い時から秀吉公に仕え、天正11年(1583)賤ヶ岳合戦の活躍により5,000石を与えられ、賤ヶ岳七本槍の筆頭とされ、伊予今治城主を経て、文禄4年(1593)清州(清須)24万石の城主となりました。

 

 

慶長3年(1598)秀吉公が没すると、石田三成と対立、同5年(1600)関ヶ原合戦で徳川家康公につき、その功により安芸広島49万石を与えらえました。

元和5年(1619)広島城の無断修繕を理由に改易され、信濃高井野藩45,000石に移され、寛永元年(1624)正則公が死去すると、幕府の使者の到着前に遺体を火葬したとして、高井野藩は取り潰されました。

 

 

 

豊國参道」と呼ばれる通りを進みます。

 

 

 

加藤清正公の由緒書き。尾張国愛知郡中村で生まれ、秀吉公の一族であった縁から秀吉公に仕えたと言われ、天正11年(1583)賤ヶ岳合戦で武功を上げ、秀吉公の九州平定後、肥後北半国を与えられ、熊本城を建てて、居城としました。

 

 

慶長3年(1598)秀吉公が没すると、豊臣秀頼公を守りつつ徳川家康公に接近し、慶長5年(1600)関ヶ原合戦では家康公に属し、慶長15年(1610)名古屋城天守石垣の普請を命じられ、来名。この時、父母を弔うため故郷中村の本妙寺本堂を再建したと伝えられます。

翌年、二条城での秀頼公と家康公の会見に臨席し、その帰路発病して50歳で没しました。

 

 

 

続いて、由緒書き「蜂須賀正勝(小六)」もありました。大永6年(1526)尾張国海東郡蜂須賀村(現あま市)の土豪蜂須賀正利の子として生まれ、当初、小六と名乗り、美濃の斉藤道三に仕え、ついで清州(清須)の織田信長公の家臣となり、更に秀吉公に従い、天正8年(1580)播磨三木城攻めの功により竜野城を与えられました。

 

 

四国攻めなど軍功を重ね、阿波一国の支配を秀吉公から約されましたが、高齢を理由に固辞し、阿波は長子蜂須賀家政に与えられました。

正勝は、大坂城の秀吉公に仕え続け、天正14年(1586)61歳で没し、秀吉公が最も信頼した側近の一人でした。

 

正勝没後、小六の名で盗賊をしていた若き日の正勝が、日吉丸と名乗っていた幼い秀吉公を三河の矢作橋で見出すという話が生まれました。矢作橋は当時はまだなく、作り話とされています。

 

 

 

豊國参道をしばらく歩くと、正面に鳥居が見えて来ます。こちらが「豊国神社」。「中村公園」の一角にあります。

 

 

 

中村公園」の案内図。「秀吉清正公園」とも言うんですね。

 

 

 

鳥居をくぐると、「秀吉清正公園」の案内板があって、石橋が架かっています。

 

 

 

橋を渡り、狛犬。

 

 

 

手水所。上屋には、金色の瓢箪が掲げられています。秀吉公ゆかりのひょうたんですね。

 

 

 

参道を進み、正面に鳥居が見えて来て…

 

 

 

その鳥居をくぐり、社殿に近づきます。あら?門には、白いシートがかけられていて、奥には建築用のシートも見えますが…?

 

 

 

門には、祭神の豊臣秀吉公の肖像画が掲げられいます。

 

 

 

豊国神社」は大修築事業の最中でした…(涙)。平成30年9月4日に西日本を中心に大きな被害をもたらした台風21号により、当神社も、柱が倒壊寸前まで傾き、屋根の鋼板が崩落する被害を受けました。そのため、修復工事を行っていたのですね…

 

 

 

豊國神社」の由緒書き、明治18年(1885)の創建で、豊臣秀吉公を御祭神とし、出世、開運、茶道、建設などに御利益があると言われています。

 

 

 

社殿の横の方に移動して、塀越しに、修復工事中の社殿を…

 

 

 

豊国神社」社殿の横には、大きなひょうたん池があって…。

 

 

 

瓢箪池には、瓢箪型の小島があって、橋が架けられています。

 

 

 

幡中佐碑

 

 

 

ひょうたん池の隣には、太閤池・関白池があります。

 

 

 

園内には、茶室もあって…

 

 

 

忠烈碑。

 

 

 

「その2」に続く。

 

 

 

 

中村公園・豊国神社

愛知県名古屋市中村区中村町木下屋敷

 

 

 

 

 

 

 

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